スペースシャトルの丸窓

 退院の時期が差し迫っていた。  と、いうのも。僕の日本の親戚がやっと見つかって、この病院まで迎えに来てくれるのだそうだ。 何だか急な話だし、あまり実感も沸かない。  記憶も曖昧な僕が親戚なんて覚えているワケないし。そもそも僕の中で親戚が居たなんて認識は無かった。  まあでも、ずっとこの病院で衣食住を供給されるワケにもいかないし、外の世界には幾ばくかの興味もあった。  僕は親戚が迎えに来るまでの期間に、まるで巣ごもりの準備をするリスのように、僕に関する資料を沢山読んだ。  正確には読まされたといっても過言かごんではない。  資料をいつまでに読み込むように言われ、後で理解度をチェックされるのだ。何かの実験なのか、資料は多言語で書かれていることがしばしばあった。  さて、前置きはこれくらいにして僕の人生について語ろう。  僕の名は、『原田ハラダ明人アキヒト』。  両親はトルコの日本大使館勤務。両方とも日本人。  僕はトルコ生まれ、トルコ在住。そして、運命の二〇四〇年、十二月二十三日。  十五歳の冬だった。  僕は両親と共にヒコーキに乗って、ヒコーキはエンジントラブルだか何だか知らないけど事故に遭い、めでたく日本の何処ぞの雪山に墜落。  両親は他の乗客と共に死亡し、僕は幸運なもう一人の生存者とともに救助され、気づけばこの病院、というワケだ。 「自分の人生なのに、何だか小説を読んでいるみたい」  僕がそんな感想を漏らせば、無愛想な中年患者は嫌味っぽく笑った。  因みに今僕がいるのは例の公共ロビー。  僕以外では唯一の患者である中年の彼がこよなく愛するテラス席だ。いつもと同じくらい日当たりは抜群で、コーヒーの湯気はバレリーナみたくふわふわと踊っていた。 「何かおかしいことがあった?」  独り言を吐いて笑われたのだから、それは諦めなければいけないのかもしれない。  だけど僕は人間。この中年が以前言ったように、狂った世界の一部なのだ。中年は僕には一瞥いちべつもくれずに新聞を読みふけっていた。  見出しには、【十三番目の罪】と書かれていた。  一体、どんな内容なのだろう。 「小説みたいな人生か。そら、羨ましいね」 「うらやましそうには見えないよ」 「ほう。どう見える?」 「バカにしてるでしょ?」  初めて中年は新聞を閉じたように思えた。それほど、中年と僕の会話は長く続いたことが無かった。 「お前は尊敬されたいのか?」 「いや、別に」 「じゃあどういう反応がお好みなんだ?」  そう言われたら、どうなんだろう。「ワー」とか「キャー」ではないことは確かだ。  僕がしばらく思案する構えをとると、 「ほう……。少し考えられるくらいには、正常らしいな」  中年の言葉に、僕は首を傾かしげた。 「おじさんにとって、正常って何?」  中年は途端に腕組みをした。その淀よどんだ瞳の光彩こうさいに映るは、とぼけた顔を浮かべる僕の顔だ。 「疑うことだ」 「疑う?」  「ああ、そうだ。この世に存在する何もかもを疑う。正義について疑い、悪について疑う」 「宇宙についても?」 「もちろん」 「地球が球体だってことも?」 「当たり前だ。俺はスペースシャトルの丸窓を覗いたことはない」  何だか、壮大な話のように思えた。だけど、それと同時に疑心のようなものも芽生えた。  冴えない無気力な病院服の中年が、常日頃そんな面倒なことをやっているものかと『疑った』ためだ。 「そんな生き方してたら疲れない?」 「全員が全員、疲れない生き方をしていたら世界は無茶苦茶になる」  何だか、その通りな気がした。  その晩、僕は夢を見ていた。  夢だと分かっているから、これは明晰夢めいせきむというやつなのだろう。  しかし、視点は固定されたカメラのように動かせず、空間に貼り付けられている不自由なもので、スーパーマンよろしく縦横無尽じゅうおうむじんに空を飛び回ることはできない。  どこかのコテージのような場所。  窓の外では、漆黒から出現する猛吹雪がガラスに体当たりし、ノックするように世界を主張する。  身も心も凍えそうてしまいそうな外の世界とは対照的に、室内には、パチパチと音を発する、救いのような暖炉だんろがあった。  暖色に揺れる穏やかな情景。  そこに集う敬虔けいけんな信徒たちは、人種も、年齢もバラバラな三人だった。 「ジャックは僕のお父さんなの? それでアナは僕のお母さん?」  幼い東アジア系の少年が言った。六歳くらいだろうか。 「ジャック」と呼ばれた食卓に座った男は、高身長のアフリカ系黒人だ。  革ジャンが似合いそうなハンサムな彼は、少年の言葉に一瞬固まると、キッチンで食事を作る若く美しい白人女性に声をかけた。 「なるほど、アジア人誕生の秘密が分かったよ」  白人女性はナイフを持ったまま振り返り、ただ一言、「最低サイテー」とだけ言い放った後、再び作業に戻った。  少年はトテトテと白人女性に駆け寄り、「アナは僕のお母さん?」と尋ねる。 「違うわ」 「じゃあ、どうして一緒に住んでるの?」 「一緒に住んでいるからって、家族とは限らないのよ」  少年は寂しそうな顔を浮かべた。「アナ」と呼ばれた女性はバツが悪そうに包丁をまな板に置くと、少年と向き直る。 「でも、私はあなたのことを愛しているわ」 「ジャックのことも?」 「ジャックは恋人じゃない。同僚みたいなものよ」 「そうだな」  ジャックもそれに同意する。  少年は複雑そうに首を傾げた。アナはそれを見て苦笑し、こう告げた。 「いい、『ケイ』? あなたは――」  そこで僕は目が覚めた。  頬には生暖かい感触があり、涙を流していることに気づく。僕はそれを拭い、ゆっくりと体を起こした。まだ陽の上らない、早朝の時間だ。  何だか、とても懐かしい夢だった気がする。これは僕の記憶なのだろうか? それとも、脳が作り出した無意味な体験に過ぎないのだろうか?  疑問は尽きない。  この陰気な病院内。そこで僕が唯一保持しているのは、妙にリアルな雪山の感触と、曖昧な記憶の羅列られつだけだ。  ポーカーなら、すぐにでもドロップを宣言するしかない。  再び頬に生暖かい水滴が伝った。砂漠に一人閉じ込められたような、最悪の気分だ。無性に、あのテラス席の中年に会いたくなった。  本日の日当たりもバッチリだった。そうとなれば、ここにプログラムのように現れる存在を待つだけだ。  コーヒーをテーブルに置いて、誰もいないテラス席を占領する。  時刻は午前八時。 『もうすぐ来てもいい頃合だろうけど』  そんないじらしい恋人のような気分で待っていると、いつも食事を運んできてくれるナースがにこやかに近づいてきて、 「コーヒー、いただき」  ナースは僕が机上に置いていたコーヒーを勝手に飲み干してしまった。  僕がポカーンとした表情を浮かべていると、ナースは若干バツが悪そうに、 「どうせ捨てるじゃない。勿体ないと思って」  釈明するように、そんな意味不明な言葉を寄越よこしてきた。  詳しく聞いてみると、どうやら僕は虚ろな表情のまま、数度にわたって湯気の立っているコーヒーをこのテラス席で放置。ナース達に文句を言わせながら片付けさせていたらしい。  ナースの反応を聞いて、僕はとあることを察していた。  どうやら僕は、記憶を曖昧にしてしまったという意外にも、とんでもない状態にあるようだ。  僕はテラス席での中年のことは口にしなかった。  賢明だったと思う。何故なら、そんなことを口にしようものなら、ただでさえ面倒な検査が増えただろうから。  当然、というのもおかしな話か。その日から、病院で中年が姿を現すことは無かった。  僕の親戚だと名乗る人物は、若い男女のペアだった。 『疑わしきは罰っせよ』  という言葉を神が作ったのだとしたなら、二人を火あぶりの刑に処さなければならない。  女の方は美人だが化粧が薄く、タバコくさくて、シャツの襟もとが少しよれていた。  男はガタイがよく、耳はアイロンを押し当てたみたいに潰れていて、浮き上がった血管が少しグロテスクだ。  それに加えて、二人ともシークレットサービスみたいな黒いスーツを着ていて、片耳には通信用イヤホンをつけていた。 「本当に親戚?」  僕が聞くと、迎えに来た女のほうは笑みを浮かべた。  今朝食べた、『べちゃどろライス』のように歯は白かった。 「アナタの姉よ。こっちは兄」  思わず担当医へと視線を向けると、彼もそれを予想していたのか、僕を見据えていた。 「紙面上では間違いないよ」 「なんだそりゃ」というのが正直な感想だった。  紙面上で親戚の有無が分かるというのならば、お金に透かしなんかいらないはずだ。だが、この場でDNA検査しろ、と言えるほど分別がないわけでもない。  僕は、『まさか偽物の親戚が自分を引き取りにくるわけがない』というポジティブな解釈を浮かべつつ、服だけ入ったボストンバッグを担いだ。 「ありがとう。短い間だけど、楽しかったよ」  担当医やナースたちとハグを交わし、怪しい男女ペアについていくことにした。  見慣れた廊下を通行している途中、ふと、窓際の日当たりの良いテラスが視界に映った。  当然ながらそこには誰も座っておらず、コーヒーの匂いも、新聞紙をめくる音も聞こえてこなかった。  親戚を名乗る怪しい男女ペアと共に外に出ると、久しく感じていない、寧ろ初めてのような気がする商業都市特有の憂鬱な雰囲気があった。  それと同時に、文字通り熱烈に歓迎する強い陽光が出迎えてくれた。  季節は春。  気温は十五度くらいだろうけど、一気に肌を伝うような嫌な汗が体中に広がる。常に温度管理された病院内に居た弊害だろう。  これから向かう場所にクーラーが設置されてあることを切に願った。 「乗りなさい」  つめた~い、の缶ジュースみたく冷ややかな声音。  人は路肩に止められた真っ黒なワンボックスカーの前に立っていた。  見るからに古い型だったが、頑丈そうで、更には車窓に内部を伺えないようスモークが張られていた。  幼児誘拐キッドナップにはもってこいの車だろう。  ところどころぶつけた跡もあるし、擦ったであろう黒い線が幾重にもボディ上を交差していて、ロバみたいだと思った。  男の方は車体に張られた駐車禁止を知らせるステッカーシールを乱暴に剥がし、植え込みに放り捨てていた。 「それ、捨てていいの?」  返答は無かった。  二人ともタバコを口に咥え、火をつけると、それぞれ運転席、助手席に乗り込む。 「さあ、はやく」  助手席の女に急かされ、僕はスライド式扉のノブに手をかけた。  一瞬、このままどこかに逃げてしまいたくなったけど、我慢した。背中に翼も無いし、あったところで何処に向けて飛び立つというのだろう。  ごくりと唾を飲み込んで、開いたスライド扉から、車内へと体を滑りこませる。車内はタバコ臭くて、最後部の座席はカーテンで塞がれ、『恐ろしい何か』が潜んでいようが確認は出来ない。  扉が閉まった。  獣が唸るようなエンジン音がして、遂に車両は走り出す。  そのタイミングで、『待ってました』と言わんばかりに後方のカーテンがシャッと開く音がした。 「動くな」  振り返ることはしなかった。ゴッと後頭部に突きつけられた冷たい銃口の感触がしたからだ。  女と運転手は変わらず「ぷかあっ」と煙を燻くゆらせていた。  不思議なことに、感じていた嫌な予感は消え去っていた。  嫌なことが実際に起こった今、僕の脳内は異常なほどに冴えわたり、次にどう行動すべきかのプランが続々と浮上していた。 「そのまま、そのままだ」  後方から白いハンカチを掴んだ左手が伸びてきて、それを僕の口に押し付けてきた。  その瞬間、僕は動き出していた。  口に当てられた左手を掴み、捻り上げる。後方から叫び声とともに、「死にたいのか!」と悪態が聞こえた。  構いやしない。  僕はそのまま一本背負いのような形で相手を引き寄せる。  そのせいで後方にいた人物は身を乗り出すようにこちらの座席までやってきて、最後の抵抗と言わんばかりに拳銃を強く突きつけられたが、撃たれないという確信があった。   何故なら、今撃てば拳銃弾は貫通し、運転席側へと飛んでいくからだ。  僕はパッと男を離すと一発パンチを放ち、怯んだ隙にヘッドロックをかまして、更には拳銃を奪い去った。  その時、助手席側から妙な気配がして、バッと女に向けて拳銃を振ると。  ――ほぼ同時のタイミングで、助手席側から身を乗り出した女が僕の額に銃口を当てていた。  腕が交差した形での、額への銃口の押し付け合い。暫くの沈黙の後、 「ねえ」  口火を切ったのは女の方だった。文字通り、口に咥えられたタバコがピカリと明滅する。 「なに?」 「何か思い出した?」  質問の意図が分からず、僕は顔をしかめる。 「どういう意味?」 「あんたはウチの部下を羽交い絞めにし、拳銃を奪ってみせた」  確かにそうだ。銃口を押し付けられた時、そして眠らされそうになったと感知した瞬間、僕は動き出していた。  まるでスティーブン・セガール演じる、ケイシー・ライバックのように、スムーズに動いた。  これは僕の保持する曖昧が起源となっているに違いない。 「あんたは……僕について何か知っているの?」  尋ねてみると、女は口に咥えていたタバコを手にとり、大きく吐き出した白煙とともに、 「トレント・レント」