国家情報局

 タバコを咥えた女はその後、自分たちは「日本の諜報機関ちょうほうきかん」だとアッサリ暴露した。  別に驚きはしなかった。他に患者のいない奇妙な病院に僕を押し込め、治療後に強制連行しようとするサマを見れば火を見るより明らかだ。 「あんたのことについて教えてあげる」  一ミリも信用できなさそうな人物から発された提案。   しかし僕はそれに付き従った。  行くアテは無いし、何より拳銃もある。それに、状況の割に異常なほど冷静な脳内には、日本の諜報機関に対する幾ばくかの興味も存在した。  その後、ワゴン車で一時間ほどドライブをし、連れて行かれたのは名も知らぬ某都市の郊外にひっそりと佇む豪邸だった。 「活動家の拠点だったの。追い出した今となっては、私たちのモノ」  僕はそんなギャングの倫理みたいな説明を聞いて、拳銃を握りしめていた。  自動シャッターが招き入れたガレージへと降り立ち、複数の黒服に囲まれながら妙に天井の広いリビングへと到着した。因みに拳銃の消音機は外してポケットに入れておいた。取り回し的に不便だからだ。 「まあ、座りなさいよ」  タバコ臭い女にソファを指される。トリガーガードに指をかけたまま、ゆっくりと座った。 「ナオミよ」  ナオミと名乗った女は、本日何度目かのタバコに火をつけながら言った。机上に置かれたくしゃくしゃのタバコの箱には、残り二本となった茶色いフィルターが顔を覗かせている。 「僕は……」  行儀ぎょうぎよく自分も名乗ろうとして、思いとどまった。僕よりもこの不遜ふそんな女の方が、原田明人アキヒトという不確実な存在である僕のことを知り得ている。そんな直感があった。  実際、ナオミは僕が次なる言葉を吐こうとするのを遮った。 「トルコ国籍で、両親は大使館勤務。貴方は両親二人と帰国中、飛行機事故にあった」  概おおむね、医者から聞かされていた話と同じだった。 「それは、我々国家情報局が用意した、貴方の偽の身分」  僕にとって衝撃的な事実なのだろうが、実際はあまり、大して驚きはしなかった。  何せ、僕はほぼすべての記憶を失っているからだ。  叩いてどんな埃が出てこようが、ベテラン清掃員のように対処できる心持ちでいた。  でも、その中で一つ、純粋な疑問が存在した。そもそも僕は何故、結構な怪我をして、入院していたのだろう。 「飛行機事故に遭ったのも嘘なの?」 「いいや、それは本当よ。アンタは情報局の指示通り、モロッコからパキスタン、それとトルコを経由してここまでやって来たのよ」 「あの病院は……」 「あんたが入院していた病院は日本国として扱いに困った患者を匿かくまう場所よ。医師やナースは機密上の観点から詳しいことを知らされていないし、VIP患者を扱う仕事としか思っていないわ」  その言葉に、胸の奥に身を潜めていた「つっかえ」のようなものが軽くなるのを感じた。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた彼女たちへの感謝に、欺瞞ぎまんという混じり物を加えたくはなかったから。  しかし、安堵と引き換えに、新たな疑問が次々と鎌首かまくびをもたげる。 「えーと……モロッコから?」 「そ、日本に亡命しにね」   亡命、か。穏やかではない表現だ。 「それで、情報局は亡命してきた僕に何をさせるつもりなの?」  僕が問うと、ナオミはニヤリと嫌な笑みを放ってきた。 「イノセント無垢って――知ってる?」 「……イノセント?」 「そう。第三次世界大戦を契機に、日本国内に誕生した、よく言えば自治区、悪く言えば独裁国家のようなものよ」  僕は銃を握りしめながら、ナオミを睨みつけていた。 「それが、何だっての?」 「アンタに、そこに潜入してもらう。精々、私たちのために体を張ってよ」  ぷかあっと眼前にまで迫る煙を飛ばすナオミ。僕はそれとは違って、可視化できないため息を吐いていた。 「嫌だって言ったらどうなるの?」 「ここから、私たちから逃げ出すつもり?」 「可能ならそうするよ。自信はある」  拳銃を掲げてみせると、ナオミは馬鹿にしたように笑った。 「国籍もIDも存在しないまま、ずっと日本で逃亡生活でもするの? それに、アンタが逃げ出したらトレント・レントにチクってやるんだから」  ナオミの言葉に、僕は怪訝な表情を浮かべた。 「だから、そのトレント・レントって何さ?」 「正式名称は、『トレント・レント・サービス』今から十五年前くらいかな? それくらいに誕生した、世界最大の民間軍事会社。あんたみたいな子どもをどうやってか一流の戦闘員に育てあげ、世界各国の戦場に送っている魔王みたいな企業よ」  ナオミはタバコを灰皿に押し付けながら、 「金さえ貰えばどんな戦場、国家、宗教にだって介入する。そのトレント社の軍事力は、先進国の軍隊に匹敵するとさえ言われているわ」  僕はそれを聞いて、拳銃を持ったまま腕組みをした。世界最大の軍事会社、トレント・レント・サービス。しかも僕みたいな存在が他にもいるのだという。  記憶の曖昧な僕が言うのもなんだが、とてもじゃないが信じがたい話だった。 「そんな映画みたいな存在いるの?」 「いるわ。現に、目の前にね。アンタは私の可愛い部下を一人羽交い絞めにして、銃まで奪ったじゃない」  まあ、確かに。それは事実だ。  僕はムービーアクションのような動作を駆使して、情報局の一人を無力化した。あの時は勝手に体が動いたのだ。つまりは、状況証拠からして、記憶を失う前の僕が何らかの『曲者くせもの』であったことを示唆している。 「つまり、僕はその民間軍事会社から派遣されてきたってこと? 日本の情報局の依頼で?」 「言ったじゃない、アンタは亡命してきたのよ」  そういやそうだった。だが、 「何のために?」 「そんな胸の内までは知らないわよ。確かなことは、アンタがトレント・レント社から足抜けして、日本に亡命希望を送ってきたの。トレント社は謎のベールに包まれていたから、各国は喉のどから手が出るほど情報を欲しがっている。私たちもそれを欲して、大金を使ってアンタの亡命をサポートしていたんだけど……そうしたらあの飛行機事故でしょ。しかもあんただけが唯一の生存者で、記憶も失っていた。それを聞いた時は笑っちゃったわよ」 「それって結構話題になったの?」 「なったわよ、世界的なニュースにね。まあ、未成年ってことで、実名報道も顔写真も出していないわ」  それなら例の『トレント社』って存在にはバレてはいないかもしれないが……。  それとは別に、他に気になるトピックは存在した。 「車でいきなり拉致しようとしたのは、どうして?」  僕は病院を抜け出て、即座に車内で眠らされそうになった。 「アレは試験みたいなものよ。反応を窺ってたの」  ほんとかなあ……試験ならどこかグラウンドでも借りて、身体検査をする方が確実だ。それをあんな道路上でいきなり試験なんて、僕が発砲していたとしたらリスクが高すぎるし、咄嗟とっさの詭弁きべんに感じる。  僕が疑いの目を向けていると、ナオミは愉快そうに笑った。 「とにかく、今のアンタにあるモノと言えば、その戦闘技術と多言語能力よね。私たちも慈善事業じゃない。トレントの情報は得られなかった分、体で返してもらうわよ」 「簡単に言ってくれるね」 「こっちだって色々やることがあって手いっぱいなのよ。それに時間もない。サクッとイノセントに潜入してさ、ミッションをこなしてきてよ。そうしたら我々情報局も悪い扱いはしないわ」 「その……イノセント? それがいまいちよく分からないんだけど」  それを聞いたナオミはぴらぴらと軽薄けいはくそうに手を振った。 「大丈夫、大丈夫。現地でガイダンスがあるから。それを聞けば一発よ」  何が一発なんだか。僕は呆れ顔を浮かべながら、ナオミの発言を思い出していた。 「そういえば、イノセントって日本の中でも治外法権なんだよね? 独裁国家みたいなものって言ってたし」 「そうね」 「イノセントに僕が亡命すれば、情報局の監視から外れるんじゃない? もしかしたら僕はそっちに亡命するかもよ」  ニヤリと不敵な笑みを浮かべながら言ってやると、ナオミは途端に神妙な表情を浮かべ、懐からタバコの箱を取り出し、乱雑にセロハンをちぎった。 「本気でそう考えているなら、アンタはトレント社を舐めているわね」  ナオミは指でトンッと箱を威圧し、反作用を利用して器用に一本だけ煙草を取り出す。それを当然かのように口に咥え、 「情報局がトレント社にアンタの潜入のことをチクったら、結果的にあんたはイノセントを追われることになる」  シュボッ。ライターの音。僕は煙のせいではなく、顔をしかめていた。 「どうして?」 「イノセントはアンタが思っているより特殊で、複雑な場所よ。面倒ごとを生みそうなタネが亡命を求めても、首に輪っかをつけて送り返されるだけよ」  ふむ、イノセントがどう特殊かは分からない。だけど、今この現状を仮に百パーセント信用したとして、僕は八方塞がり。情報局の命令を遵守する以外に道が無いことは間違いが無いだろう。  僕が思案する構えをとっている中、ナオミは部下に持ってこさせた一枚の書類を机上に叩きつけるように置いた。 「とにかく、受けるなら給料、弾むわよ~。それに成功して帰ってきたら妙な制約も無し、フリーダム。正式な日本国籍もあげちゃう。世界最強のパスポートとは到底言えなくなったけど、まだまだ価値があるわ。ほら、大人しくディールしときなさい」  書類の内容は情報局と契約を交わすことが記された、契約書だった。僕は最早デフォルト化されたと言ってもいいため息を吐いた。 「ディールとは言えないよ、これは恐喝だ」 「もしくは、脅迫ね」 「そういえば、肝心なことを聞いていないよ」 「何?」 「僕はそのイノセントで何をするの? まさか、誰かを暗殺してこいとか?」  ナオミは足を組み替えながら、 「その逆よ」  まるでコメディドラマを見ているような目つきでそう口にした。