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イノセント

 息遣いくらしか聞こえない。満員だが、静寂が立ち込めるバスの内部。  時刻は午後二十時を回った頃だ。車窓から覗く景色は、もはや漆黒を構成する一部と化していた。フロントライトに照らされた木々たちが、お化けのように枝を伸ばして存在を主張している。  僕はそんな閉塞へいそくした空間で成すすべなく、ナオミからプレゼントと称して手渡された中古のウォークマンを起動した。充電は二十二パーセント。本体は熱を帯びている。かなりの年代物だ。ため息を飲み込み、絡まったままのイヤホンを耳に押し込んだ。 「ねえ、あなたはどこの区画へ行くの?」  間が悪いことに隣に座る東南アジア系の少女に話しかけられた。  僕は聞くハズだった曲を停止。  装着したばかりのイヤホンを外して、彼女の顔を見つめる。車窓から漏れ出る光に照らされた浅黒い肌は、僕の目にセクシーに映った。 「さあ? 僕はよく知らないんだ」  それを聞いた彼女は、残念そうに微笑んだ。 「どうしたの?」 「ハンサムだから。同じ区画だったら嬉しいな、と思っただけよ」  ほう、それはまた。これから一生を過ごす場所が決まろうというのに、呑気なものだ。  感心を通り越して呆れに近い息を漏らした僕は、多少のサービス精神が湧いて、彼女に微笑をプレゼントした。 「きっと、他にいい出会いがあるよ」  すると彼女は、急に真顔になった。 「あーん……本当にハンサム。ねえ、年はいくつ?」  やれやれ、諦めの悪い女の子だ。僕がなんと答えようか迷っていると――。 「おい、検問所だ」  同乗者の声が車内に響き、僕は視線を正面へ移した。フロントガラスの数十メートル先。ライトアップされた十五メートルほどの高い壁をバックに、重武装の兵士たちが車両の検査をしていた。 「あそこで一旦降りるのだろうか?」 「いや、検問所を抜けて中央区画に行ってからだそうだ」  さっきまでの静寂が嘘のように、乗客たちがそれぞれのバックボーン――多種多様な言語で会話を始め、車内がざわつき始める。それに便乗してか、東南アジア系の少女は先ほどより声を張り上げた。 「ねえ、あなた、年はいくつなの?」  僕は咄嗟とっさに寝たふりを決め込んだが、すぐに彼女に揺さぶられた。 「ねえ、寝たふりしないで教えてよ」  どうしよう、会話を続けるのも面倒だ。  そう思っているうちに、検問所を抜けたあたりでバスが停止した。こっそり瞼まぶたを開けて外を伺うと、バスは複数の兵士に包囲されていた。  乗客たちは再び騒ぎはじめ、運転手が立ち上がって説明を始めた。 「――ちょっとお待ちください。現在、テロ対策で検査が強化されているようです。すぐに済みます」  英語での説明を終え、運転手は兵士に促されるまま車を降りていく。 「なんだ、なんて言ったんだ?」 「もう、座りっぱなしで腰が痛い。どうにかしてくれ」 「もしかして、このまま追い返されるんじゃないだろうな?」  英語が分からないアラビア語話者の数人が騒ぎ出した。今にも暴動が起きそうな不穏な空気が満ちる。  僕はため息を吐きながら立ち上がった。 「大丈夫だよ。検問所の検査が強化されているだけで、運転手はすぐに戻ってくるってさ」  僕がアラビア語で説明すると、騒いでいた男たちはポカーンとした表情を浮かべた。 「……なんでわかったんだ?」  質問され、僕は大仰に肩をすくめてみせる。 「英語も話せるんだ」 「訛なまりがないが、留学でもしてたの?」 「いいや、独学だよ」 「ああ、そうか。すごいな君。ぜひともウチの区画へ来てくれ。歓迎するよ」 「カシム、これから向かう立場のくせしてまるで上司みたいな言い草だな」  男の隣にいた連れがツッコミを入れる。そのやり取りを聞いて、車内のあちこちから笑いが漏れた。どうやらこのバスには、思いのほか多くのアラビア語話者がいたようだ。  苦笑しながら席に座り直すと、隣の少女が目を丸くしていた。 「今の何語?」 「アラビア語だよ」 「すごーい! もしかしてバイリンガル?」  それどころか、十三カ国語を操るマルチリンガルだけどね――。  僕が愛想よくウィンクすると、彼女はまるで高速鉄道のような勢いで喋り倒し始めた。     煌々こうこうと明かりの照らされた巨大なバスターミナルを降り、別れを惜しむ名も知れぬ東南アジア系の少女と別れてから、僕は、区画振り分けセンターと書かれた大きな建物へと入った。  中で待っていたのは、長蛇ちょうだの列と、それを監視する武装した兵士の姿だった。職員も兵士も多種多様な人種で構成されていた。僕は周囲を見回し、『特別振り分け者』と書かれた窓口を探す。   長蛇の列の横で嫌味のようにたった数人が並ぶ窓口を見つけ、僕はそこに並んだ。その洗礼と言って良いか、長蛇の列に並ぶ人たちは僕を羨むようにジッと見つめていた。 「貴方アナタ、ここで合ってる?」  列を待っている最中、うんざりしたような表情をした東欧系の女性職員が話しかけてきた。腰にはテーザーガンのような拳銃が据え付けられている。 「ここは特別振り分け者スペシャル・セレクティーの列よ。推薦状はある?」  僕は懐から一枚の紙を取りだす。四つ折りにされた紙を広げた東欧系の職員はそれを見て何度もうなづくと、 「ここで大丈夫よ」 「どうも」  それから数分後、ようやっと僕の番が回ってきた。東アジア系の切れ長の目をした男性職員が手を伸ばしてきたので、僕は紙を渡す。職員は無言のまま紙にチェックを入れ、大きなスタンプを押した。 「キミのこと、知ってる」  不意に投げかけられたワードが、そんなだった。僕が顔をしかめていると、 「飛行機事故の生存者だろ? イノセントに来るって話題になってたし、ニュースでも見た。顔は知らなかったけどね」 「へえ。ここでも日本のニュース、流れるんだね」  職員は「もちろん。どこぞの独裁国とは違う」と呟きながら、パンフレットと共にスタンプを押した紙を返してきた。 「ようこそ、『イノセント・サーティーン』へ」  パンフレットの表紙には、十三の区画に線引きがされ、区画分けされた旧・岡山県の図が映し出されていた。  『二千三十年代より囁ささやかれ始めた区画主義セクトイズム。それは、ネットという幻想が生み出した幻でなく、第三次世界大戦を起点に活発化し、急速に世界に認知されつつあり――』  ポップコーンは片手に収まっていない。  数名の特別振り分け者と共に、僕はシアタールームで区画主義とやらの成り立ちを説明するビデオを視聴していた。情報局のナオミからもそれらしいことは聞いていたけど、パズルのピースが嵌まるように疑問だった部分が補填されていく。 『区画主義セクトイズム』  それはかつてネットの海に漂っていた、誰かの寝言ねごとのような空想だった。  仕組みは至ってシンプルだ。  まず、同じ価値観を持つ者だけで集まり、小さな村を作る。けれど、一つの村だけでは電気も水も足りない。  だから、違う考えを持つ村同士が、生きるためだけに渋々に手を結ぶ。  ただ、連帯はしても、混ざり合いはしない。お互いの顔を見れば、争いが始まってしまうかもしれないから。  だから彼らは、自分たちの住処を高い壁で囲い、物理的に切り離した。  そうして出来上がった不可侵な区画セクターの集合体。これこそが、この『イノセント』という場所の正体らしい。  だが、当然ながらそんなもの、単一の思想で縛り付けるのが都合が良い国家からすれば異物ほかならず、国際的にも区画主義者セクトイストを名乗る者は明確にテロリスト扱いされた。  そんな経緯もあり、所詮は誰かの妄想で終わるはずだった区画主義セクトリズム。しかし―― 『第三次大戦を発端に、世界中で発生した大量の難民を処理するため、日本政府が打ち出した国際交流地区ナショナルシティ。それは、国際交流を名目に国内の難民の経済的自立を加速化させ、岡山に巨大経済圏と国際都市を創設するという構想でした』  シアターに映し出された、百年前の人間が安易に想像しそうな近代建造物群メトロポリスのCG映像。そこには、未来都市の名にふさわしいように、最先端のドローンが無数に飛び交っていた。 『しかし、実際には世界中に息を潜めていた区画主義セクトリズムを信奉しんぽうする区画主義者セクトイストが大量に流入。日本国岡山地域は、区画主義者セクトイストたちによって巧みに占領され、その思想を元に自治化されていきました。日本はそんな惨状さんじょうから、各国から「区画主義を実現させた大間抜け国家」として非難されましたが、未だに日本政府はイノセントについて、「あくまで区画主義によって生まれたものではなく、国際交流都市ナショナルシティ」だというスタンスを崩していません』  その説明には、思わず笑ってしまいそうになった。  だって、そうだろう。このビデオは日本から岡山地域を火事場泥棒のごとく掠め取った『区画主義者セクトイスト』自身が制作したものだ。しかし、動画の説明ではそれら全てが他人事のように語られていた。 『そうして作られたのがイノセント・サーティーンです。旧・岡山地域は十三の区画に分けられ、それぞれの思想を持つ区画が共同体を形成する、この世の楽園エデンへと変わりました』  楽園、か。  そこまで聞いた所でビデオは終了し、舞台袖からスーツを来たハンサムな黒人男が襟を正しながら登場した。 「キミたち特別振り分け者スペシャル・セレクティーとは、イノセントの中でも特別な技能を持ち、かつ貢献してくれそうな者に与えられる称号だ。よって、従来の対応とは違う形でこちらも接することになる」  男の説明通り、僕は多言語話者として特別振り分け者に選定された。よって、イノセントにおいては通訳的な仕事を請け負うことになるのだろうが―― 「キミたちはこれから中央区画で暫く生活してもらい、その生活態度、貢献度合い、AIによるUIユーアイ値ちの計測などによって思想をチェックされる。そこから適正区画に振り分けられるか、それとも中央区画に留まるか。はたまたイノセントを追いだされることになるのか――なんにせよ、采配は我々独自の判断によって行われる」  スーツの男はそこで言葉を切り、全員を見回した。 「何か質問は?」  誰も口を開かないのを見て、スーツの男は満足げにうなずいた。 「これから特別振り分け者に対して、GPSバンドを配布する」  言葉通り、手首に装着するタイプのバンドが配られた。  一見すれば、ただのミリタリーウォッチのような形状。見た目通り時計としても機能するようで、時刻と装着者の心拍数が表示されていた。 「そのバンドはイノセント製で、防塵防水ぼうじんぼうすいだ。シャワーに入る時も外さずに装着してくれ。外せばそれなりのペナルティも存在する。その他には、災害時に緊急メッセージを送信される機能もあり、君らの安全を確保するためにも重要なものだと理解してくれ。さて、それではさっそく、君たちを宿泊施設に移送する。各人、そこで食事と休息をとってくれ」