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サードアイ

 シャッと。成功者のようにカーテンを開ける。  宿泊施設の窓から見える景色は、緻密ちみつなまでに整備された道路や建物たち。  そして、数キロ先には、ビデオで見たCG映像と引けをとらないような、煌々とした明かりを放ち、巨大ビル群が立ち並ぶ未来都市の様相だった。  チェコのぬかるんだ田舎とは大違いだ――という感想が浮かんだところで、僕は少し嫌な気分になって、ベッドに腰掛けた。  僕は曖昧だ。その存在も、記憶も、身分すらも。  保持している記憶は精々がチェコの田舎町の情景。そして、存在したかも怪しい不思議な同居人の姿。  最後に覚えているのは身も凍えるような血だまりと雪山の情景。現在の『自身の姿』から向けられる拳銃。  物思いに耽るなか、ふとバンドに短い振動が伝った。 『三ツ目サードアイさんからメッセージが届きました』  僕は小さな液晶に映し出されたその文字を見て、目を剥いていた。 『三ツ目サードアイ』  情報局から伝えられていた、イノセントでの僕への情報提供者兼、指示出し係のコードネームだ。僕は小さな液晶をタップする。AIが作ったような無機質なメッセージが表示された。 『ベッドの下を確認せよ』  僕は綺麗にベッドメイキングされたマットを柔道家みたく引っぺがし、その下を見た。  感心したことに南京虫は一匹も存在せず、代わりに無機質なベッドフレームの上に設置された「すのこ」の上に、ブルートゥースのイヤホンケースのようなものが一つ。手に取って開いてみると、一般的な形状をしたイヤホンが入っていた。 『耳に装着、そうすれば声が聞こえる』  再びメッセージが届く。何となしにバンドのメッセージ履歴を確認しようとすると、メッセージが届く度に今までのメッセージが履歴から削除されていた。とりあえず、言われた通りにイヤホンを耳に装着する。 『……ハロー。聞こえる?』  女性の声音だった。それも、気の抜けた声音だ。直感的でなくとも、メッセージを送った本人であることは伺えた。 「ハロー、聞こえるよ」  返答をすると、遅れて、 『仕事の話をする』  雑談も無しで、いきなり本題からのようだ。  僕は話をしながら引っぺがしたマットを直すことにした。 『明日からの予定は聞いてる?』  予定。宿泊施設に向かう前、僕の担当となった、ふくよかなイノセント職員から聞かされた内容のことだろう。 「明日は朝から、僕が暫く住むことになるアパートに行くらしいよ。それと、町の説明も兼ねて、職員と一緒に生活用品の買い出しに行くんだ」 『買い出し……何時まで?』 「多分、終日になるんじゃない? 予定が空くのは夕方だと思うよ」 『……そう』  何だか煮え切らない返答だ。気になった僕は、 「なに? 何かあるの?」 『仕事を頼みたかったけど、諦める』 「え?」 『気にしなくていい。他に回すから』  ……到着早々に仕事を依頼しようとしていたのか。情報局の下請けはどうやら相当ブラックな仕事らしい。  「ところでさ、これから連絡はこの通信機でするの?」 『それ、ベッド下に戻しておいて。買収した清掃業者に処分させる』 「え?」 『これから電話は控える。代わりにバンドへメッセージを送るから』  「大丈夫なの? 記録に残らない?」 『大丈夫。これは災害時にメッセージを送信できる機能を付随しているんだけど、イノセントで一番ザルなセキュリティ。ログも即消去している』  本当に大丈夫なんだろうか? 潜入してすぐ豚箱入りは勘弁被るのだが。 『そんな顔しなくとも大丈夫。私は凄腕のハッカーだから』  内容の割に強気な発言だ。それに、まるで僕の表情すらわかっているみたいなニュアンスに受け取れた。 「どこかで見ているの?」 『監視カメラ。天井隅を見て』  促されて天井を見てみると、確かに隠す気も無いようなむき出しの監視カメラが設置されていた。  「……これは重大な人権侵害だ」  『イノセントの市民にプライバシーなんてものは無い。だけど、それが穴を生んでいる』 「どういうこと?」 『町に存在する数を含めると、イノセントには凄まじい数のカメラが設置されてある。その全てのデータを監視をするには人間では手が足りない。よって、全ての映像はAIの管理するデータセンターに送信される』 「ふーん……つまりさ、僕がマットを引っぺがすのも見られてたってことだよね?」 『既に介入した。その事実は存在しない』  要するに、万事OKってことかな? それなら構わない。 「それで、仕事の依頼はご破算になったわけだけど、他に要件はあるの?」  『無い。セキュリティの甘い宿泊施設で一度会話をしておきたかっただけ。これは、ただの挨拶みたいなもの』 「挨拶……」  挨拶か。無機質な声音に反して、意外と律儀な性格なのかもしれない。 『今後、バンドでのメッセージは一方的にこちらが送信する。詳細な状況報告や、通話が最適と判断された場合のみ、通話を行うことがある。その時はこちらがハッキング可能な固定電話を指定するので、命令された場所に即座に移動するように』   しかし、連絡手段のメッセージは手首の小さなバンドに一方的、か。  わざわざ通話するときに移動を有するのもいただけないな。  そんな感想を浮かべている内に、三ツ目サードアイが会話を継続した。 『緊急の依頼はバンドに転送する。メッセージは即時消去するから、通知が来たら見逃さないように。それと、監視カメラを三十秒後に復旧するから、怪しまれる動きは控えて』  一方的にそう言い切るなり、通信は途絶えた。やれやれ、これから忙しい毎日が始まりそうだ。  シャワーを浴びるかどうしようか、そんなことを考えながらベッドに身を投げ出す。  目を瞑るなり、僕はこのまま寝入ってしまうことを選択した。  夢を見ていた。視点は以前と同じく、ある一点に固定されたまま。  今回の舞台は雪山だ。一帯を支配するのは、視界を焼き切るような広大な雪原。  そこには、射撃用の白い標的を貼り付けられた人型が、墓標のようにいくつも地面から突き出していた。  それを背景に、以前の夢にも現れた二人の影があった。  ハンサムな黒人ジャックと、東アジア系の少年ケイが、長机に並んだ銃器を無造作に弄っている。 「銃を神聖視する連中もいる。だが、これらは単なる道具だ。道具以上の価値を持たせれば、それは道具ではなくなってしまう」  ジャックはそう説きながら、隣のケイに一丁の拳銃を手渡した。 「便利な光学照準器など必要ない。備え付けの照門アイアンサイトで十分だ。両手と同じだと思え。常に自分の一部として使い込め」  ケイは不満げに唇を尖らせながら、受け取った鉄の塊の重さを確かめるように、まじまじと眺めた。 「アナが言っていたよ。世の中には両手がない人もいるって」 「ふむ」とジャックは頷いた。 「両手も両足も、所詮は道具だ。キッチンのナイフと変わらん。さあ、その道具を使って、さっそく的を撃ってみろ」  少年は拳銃を構えた。狙うは数十メートル先、不格好な木製の標的。五ドルの価値もなさそうな、安っぽい射撃場シューティングレンジだ。 「使い方はいつも見ている通りだ。分かっているな?」  少年の返答は、言葉ではなく銃声だった。  続けざまに三発。鼓膜を突き刺す雷鳴のような轟音が雪原に響き渡る。木製の的は挨拶を返すように、派手に木片をぶちまけた。  ジャックは音に合わせて数回瞬きをしたあと、顔をしかめた。 「……一応、聞いておく」 「なに?」 「銃を握るのは、今日が初めてだったな?」  少年は肩をすくめ、平然と言ってのけた。 「そんなの、ジャックが一番知っているでしょ」  ジャックは辛うじて自立している標的まで歩み寄り、的に設置された白い紙を剥がした。標的の中央――そこには三発の命中弾が一点に集中していた。幼い少年のものとは思えない、驚異的な精度だ。  ジャックは後を追ってきたケイの頭を、乱暴にぐしぐしと撫でつけた。 「良い腕だ」 「……ジャックよりも?」  少年は少し照れくさそうにはにかんだ。 「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」 「何それ?」 「こういう技術は数値化しづらいんだ。特に……人殺しの技術というのはな」  それを聞いた少年は大仰に肩をすくめてみせた。 「的当ての点数を見れば、すぐに数値化できるよ」 「実戦では、一発も当てられない奴が沢山いる」 「どうして?」 「どうしてだろうな」  ジャックは胸ポケットから取り出したタバコを咥えた。ケイはそれを見て、火をつける前からわざとらしく咳き込んでみせる。ジャックは「アナの真似か?」と小さく笑った。 「ケイ、他も試すぞ」  ジャックが長机に戻りかけた背中に、ケイの問いが飛んだ。 「ねえ、ジャック」 「なんだ?」 「ジャックはどうして……その、数値化できない人殺しの技術を、僕に教えようとしてるの?」  ジャックは、吐息かタバコの煙か判別のつかない白い息を吐き出した。 「備えなければならないからだ」 「備え?」 「いずれ、お前を殺しにやってくる奴がいる。そいつに備えるんだ」  ケイは標的の横で立ち尽くした。 「僕を殺しに……誰が?」  ジャックはライフルを手に取り、ガチャンと音を立てて弾倉を叩き込んだ。 「分からん。だが、感じるんだ」  冗談だと思ったのか、ケイはわずかに笑みを浮かべた。 「びっくりした。本当のことかと思ったよ」 「本当だ。命を懸けてもいい」  その返答に、ケイの顔から笑みが消えた。 「……どうして僕を殺しにくるの?」 「目障りなんだろう」 「どうして僕が目障りなの?」 「さあな。だが、奴らがやってくるのは間違いない。だから、備えろ」  ジャックが手招きし、ケイは少し怯えたような表情でライフルを受け取った。 「二年だ」 「え?」 「二年で、お前を俺と同レベルまで叩き上げる」 「……二年以内に、僕を殺しにくる奴がいるから?」 「ああ。今はまだ上手く隠れられているが、二年もすれば限界だろう」  ケイがライフルを長机に乗せて構えようとすると、ジャックが遮った。「机を使わず、立って狙え」。言われた通り、ケイは重い銃身を支え、震える腕で照準した。 「構えがサマになっている。……お前、ここに来る前にも銃を握っていたのかもしれんな」  ジャックの言葉に、ケイは思わず視線を向けた。 「……どういう意味?」 「お前、ここに来るまでの記憶はあるか?」 「チェコに来るまでの?」  ケイはライフルを下げ、少しだけ考え込んだ。そして、自分でも驚いたように目を見開いた。 「……いや。無い。僕は、ここに来るまでの記憶を一つも持っていない」 「そうだろうな」 「ジャックは何か知っているの?」 「俺も分からん。だが、確かなことは一つだけある」  ジャックは、ケイが持つライフルの銃身を掴み、前方の標的へと強引に向けさせた。 「今ここに銃があって、俺がお前に戦い方を教えている。それだけだ」  ジャックが手を離した。ケイはアイアンサイトの小さな丸窓から標的を睨み、静かに問うた。 「ジャックは、人を殺したことがあるの?」 「ある」 「何人くらい?」  ジャックは長い沈黙の後、答えた。 「足跡と同じだ」 「え?」 「足跡を数えながら歩く奴はいない。だが、歩いてきた道のりだけは覚えている」  ジャックの乾いた声が消えると暫くして、純白の雪原に、少年が放った雷鳴のような銃声が再び鳴り響きはじめた。