曲者
三ツ目の情報通り、映画館の隣には軍用クラスのフラッシュライトが販売されていた。
薄暗闇の中、商品を持ち去るのは火事場泥棒のように感じて、あまり気分の良いものではない。そんなことを思うくらいには、少し良心は残っているみたいだ。
左手に軍用フラッシュライトを構え、慎重に歩みを勧めながら階段を降りる。
三階に到着すると、同じくライトを照らしながらフロアを徘徊するテロリストと思しき影が三つほど確認できた。
少し、様子を見よう。僕は血の匂い漂う、哀れな犠牲者が複数床に伏せって血だまりを作るカフェテリアに入った。何故ここを選んだかと言うと、既に転がった死体が敵の索敵済みの証だからだ。
僕は安全が確認されたカフェテリア内にて、ガラス張りの仕切り付近に設置された植え込みからテロリストの様子を窺うことにした。
「救助にきました、隠れている方は出てきてください!」
日本語訛りの下手くそな英語だった。
それに騙される者はおらず、フロアは六つの影以外、足音は響いていない。
だけど、時々彼らは「何か」を発見したように、轟音と共にオレンジ色の光で陰影を濃くして、断末魔の悲鳴のようなものを発生させていた。
どうやらテロリストたちは、プルプルと震えながら物陰に隠れていた哀れな生存者にも容赦はないみたいだ。彼らはあらかた三階を探索しおえたのか、無線で会話しながら四階へと上がっていった。
「まったく、騒がしい店だ」
危機感の無い、それでいて大いに聞き覚えのある声音。それと共に、ぺらりと新聞を捲る音。
僕の心臓が初めてドキリッと、跳ねあがる。
思わず勢いよく振り返ると、カフェテリアのテーブル席に、病院でも見た中年が座っていた。
彼は病院で見た光景と同じく、英字新聞を広げていた。手元には誰かの飲み残しであろう、冷めたコーヒーが鎮座している。
僕が呆然と立ち尽くしていると、中年は馬鹿にしたように笑った。
「こんなに椅子があるのに、立つのが好きなのか?」
「……いや、そうじゃなくて」
僕は困惑しながらも、中年の向かい側の席に座った。
「まるで幽霊を見るみたいなツラだな」
「……違うの?」
「幽霊なんているわけがない」
断言するように新聞を捲る中年。見出しには【あの日、お前が殺した】と書かれていた。
「宇宙……」
「なんだ?」
「宇宙船の丸窓を覗いたことは無いんじゃなかった?」
中年は新聞を閉じなかった。代わりにつまらなそうな表情を浮かべながら、
「丸窓を覗いたら幽霊がいるのか?」
「いるかもしれない」
「いや、いない。存在しない。幽霊なんてのは、人が作ったまやかしだ」
「だったら――」
目の前にいる存在は一体何なのだ。僕にしか知覚しえない、認知しえない中年の姿をした存在。
そこでようやく中年は新聞を閉じて僕の目を見た。
「調子に乗るな。お前はずっと隣にいる存在にすら気づけていない」
僕の隣の席を顎で指した中年の言葉に、僕は顔をしかめた。
「どういう……」
意味だ?
僕は言い終わる前に、絶句していた。
そして、過冷却で血を凍らせたみたいに、背筋をゾッとさせていた。
僕の隣には、東欧系の幼い少女が座っていた。それも、瞳に生気がなく、顔は真っ青で、雪山から遂さっき抜け出してきたみたいにまつげが凍り付き、近距離でも感知できるほどの冷気を放っていた。
思わず僕が短く悲鳴を上げると、中年が笑った。
「その子はずっとお前の隣にいたんだ。でも、お前はその存在を否定していた」
「な、なん――なんで?」
「ようやっと、丸窓を覗く気になったな」
不規則に漏れ出る呼吸、対して心臓はドッドッドッド、と規則的に動いていた。
「あ、あんたは一体何なんだ?」
「さあな。捉え方次第だ。だがまあ……俺からすればお前の方が不確定な存在だな」
「え?」
「それより、彼女を見ろ」
僕は再び、隣に座る彼女へと視線を向ける。
彼女は真っ黒に塗りつぶされたような漆黒の瞳を浮かべ、僕の袖をつまんだ。
「おそらがみえるよ」
僕はとても大きな、それは大きな悲鳴をあげた。
椅子から転げ落ち、コメディアンのように机に頭をぶつけながら、必死に少女から逃れようとする。
心臓は最早パンクしそうなほどにざわめいていた。
――僕はどうしてしまったんだ。何が起こったのだろう。
震えながらふと顔を上げると、僕の座っていた席には老人も、少女も、誰もいなかった。そんな痕跡もなかった。
とにかくその場から離れようとする。だが、夢の中みたく体が上手く動かなった。指先は使用不可なほどブレて見える。
転がっていた死体にぶつかる。それを見て、途端にどうしようもない恐怖心に駆られた。
「そ、そうか。そうか、これが――」
恐怖心か。
おかしな表現だ。だが、僕はそれを口に出した。
そこで気づいたのは、僕は今まで。原田明人という存在を認知してから、初めての感情を発露させたことに気が付いた。
まるで檻の中で暮らしていたサーカスの動物が初めて外の景色を見た時のように、僕は動揺していた。
それからは無茶苦茶だった。口を大きく開けて倒れる老若男女を見て、すすり泣きのような涙がこぼれる。これはどういった感情だろうか?
ただ、ここにいた人々にも僕と同じように、意識があって、人生があって、目的があって、だからこんなモールにもいたわけで――それが永遠に失われたのだと知って、どうしようもなく悲しくなった。
ダダダダダッ!
一点に向け、狙いすましたかのように走り寄って来るブーツの音。
それを聞いた僕は思わず「ヒッ」と声を漏らす。
そうだ、僕はどうしようもないミスを犯した。テロリストが闊歩するモールで、フロア中に響くような叫び声をあげてしまったのだ。
奴らがくる。だが、ガクガクと震える足は途方もないくらいに、どうしようもなかった。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
考える間に大きくなる足音。ふとももを殴りつける。ダメージを負うくらいに。でも、それでも――
「おい!」
少女の甲高い声音。心臓が止まったと思うくらい驚いた。
それと共に、グイッと襟元を引っ張られ、僕は再び悲鳴をあげ――る間も無く、小さなシルエットから、それに準じた威力の張り手をくらわされた。
「しっかりしろ、連中が来るぞ!」
僕よりも一回りも小さい黒髪の少女。
気丈に強張らせた小さな顔を浮かべ、決意に満ち溢れた瞳をしていた。
少女は呆然と立ち尽くす僕の腕を乱暴に掴み、カフェの厨房がある方向へと引っ張っていく。
その時、僕は黒髪の少女がウルフカットの髪型なのを知った。
「止まれ!」
訛りのある英語とともに、銃声がした。後方から放たれたマズルフラッシュのオレンジ色の輝きと共に、薄暗いカフェ内が一瞬だけ明るくなる。
そして、はじけ飛ぶ机上のコップや木片。銃撃だ。テロリストは容赦なく発砲した。
死ぬ、死ぬ、死ぬ。僕は撃たれて死んでしまう。この善良な少女とともに。
「ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ」
喘息になったかのように漏れ出る苦しげな吐息。
僕と少女は西部劇に出てきそうな両開き扉に突進し、アルミが支配した、銀色の世界――厨房へと踏み込んでいた。
作りかけの料理や皿が散乱していた。僕たちはそれらを踏みつぶしながら進む。
「奥へ入った! 厨房だ!」
「行け行け!」
今度は日本語が聞こえた。黒髪の少女は振り返らず、僕の腕を掴んだままそのまま走り続ける。
バンッ!
扉の解放される音。フラッシュライトの明かり。そして、再び鼓膜を揺さぶる銃声。
僕は少女と厨房の最奥にあった棚に身を隠す暇もないまま――右耳を貫通する熱い鉄棒を押し付けられたような感触がした。
撃たれたのだ。どの程度のダメージかを観測する間もないまま、遅れて吹き飛んだ右耳とともに慣性によって重心が床へと流れていく。
前傾姿勢に陥る僕の正面にあった壁掛けフライパンが火花を散らして跳ねた。恐らく貫通弾が当たったのだ。ありきたりなスロモーションが流れ、周囲に散る血液がゆっくりと少女に降りかかる。
「ああ!」
先んじて棚に飛び込んだ少女が初めて声をあげた。僕に向かって身を隠せる棚へと誘導するように、必死に手を伸ばしてくる。僕はそれを掴もうとして。
再び鉄棒を押し付けられたかのような感触を右肩に感じ、思い切り壁に向けて頭を打ち付けた。
△
気付けば僕の視点は固定カメラだった。
つまりは夢ということなのだろうけど、今までとは毛色が全く違うことに気が付いた。
何故なら、僕が現在見ている景色。それは、チェコの雪山などではなく、遂先ほどまで体感していた銀色の厨房内だったからだ。
荒野の略奪者みたく、勇んで厨房に踏み込んでくる重武装のテロリストたち。
そして、必死に僕を射線から遠ざけようと服を掴む黒髪の少女。
僕の体はどこもかしこも出血していて、鍋蓋で押さえつけられたロブスターみたく、今にも死にたえそうに見えた。
「一人仕留めた。もう一人は最奥の棚に消えたぞ」
「気をつけろ、厨房内だ。ナイフを持っているかもしれん」
ライフル下部に据え付けられたフラッシュライトを点灯。明かりを満たしたところで連携を取り合い、訓練された所作で両方向からクリアリングをしていくテロリスト二名。
「一瞬だが、姿が見えた。シルエット的に標的かもしれん」
「本当か? グレネードは使うな。写真を撮らないといけない」
「分かってる」
「狙うなら胴体だ」
二人はしきりに会話を交わしながら、じりじりと距離を詰めていた。
サルーン・ドアの向こう側には、他にも周囲を警戒するテロリストたちがいて、少女単独での脱出は万が一にも成功しないだろう。
少女はいずれ訪れる未来を予測してか、震えながらも懐からとあるものを取り出した。
それは小さな、おもちゃのような小ぶりの拳銃だった。そしてそれは、イノセントでは所持を禁じられているはずのものでもあった。
少女は棚に背を預けたまま、祈るように銃を握りしめる。
「カバーしろ、カバー」
「行くぞ」
遂に二名が最奥の棚の手前へとたどり着いていた。
連携を取り合いながら、今にも飛び込んできそうだ。
少女はそれを察知してか、意を決して拳銃を構えようとして、
「やれやれ」
先ほどまで倒れ伏していたハズの僕に、一瞬の隙に拳銃を奪いとられていた。
「なッ――お前!」
少女が驚愕する中、
「コイツは僕の方が得意なんだ」
僕は控えめなウィンクをし、唖然とする少女を他所に小ぶりの拳銃の安全装置を親指で解除、スライドを引き、そしてそのまま、ノールックで棚から拳銃を覗かせ、飛び込んできそうだった一名のテロリストに向け引き金を引いた。
想像を絶する轟音に少女が驚き、耳に手を当て、悲鳴を上げる。
と同時に、
「撃たれた!」
言いながら倒れ伏すテロリスト。
カバーにまわっていた一名が慌ててライフルを乱射するが、命中しなかった。
僕は棚を蹴って地面をスライドするようにしてテロリストの前へと躍り出ると、そのまま二発を発砲した。
テロリストは「ギャッ!」と断末魔の悲鳴を上げ、大きく仰け反って、そのまま糸が切れたかのように倒れ伏した。
サルーン・ドアの前で待機していたテロリストたちは異常を察知したのか、すぐに厨房内に踏み込んできた。
しかし、その時僕は、倒れ伏すテロリストを盾に、更には彼が持っていたライフルを奪い取る。
そして、神業のようなスピードリロードで弾の補充を終えていた。
勇んで踏み込んでくる二名のテロリスト。だが、仲間を盾にされ、その腕の隙間から銃撃を受ける。
「散れ!」
一人の号令で棚に身を隠したテロリスト。しかし一名は倒れ伏し、絶叫をあげていた。
「くそ!」
テロリストの悪態。それと同時に、彼の場所に何か丸い物体が投げ込まれる。
手榴弾だ。テロリストは瞬時に反応し、右腕で投げ返すが、それを拳銃に持ち替えた僕に撃ち抜かれた。
悲鳴のようなものを上げ、怯むテロリスト。彼が苦痛に苦しみながら僅かに顔を上げた時、既に目の前には飄々とした目を浮かべた僕が立っていた。
ガオン!
銃声が止むころには、厨房内は血の海と化していた。
僕は銃を振って軽くクリアリングすると、拳銃をポイッと投げ捨て、厨房のまな板に転がっていたナイフを手に取った。
暗闇の中、ガスコンロのスイッチを押し、オレンジ色の光を灯した。
僕はそれを眺めながら、手に持っていたナイフをガスコンロのバーナーで炙り出した。
「お、お前……お前がやったのか?」
そこでようやく少女が立ち上がって、呆然と僕をみつめていた。僕は微笑を浮かべ、ナイフをあぶりながら、
「ねえ」
少女がびくりとする。しかし、僕の視線は少女の頭上――固定カメラとなった僕へと向けられていた。
「上手くやれないなら、また代わってあげるよ」
僕はそう口にするなり、着ていたシャツを破き、絶え間なく血液があふれ出る右肩に空いた銃創を露出させ、熱されたナイフを流血した右肩にジュッと押し付けた。