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お手並み拝見

「明人アキヒト。私はな、大胆な人間が好きだ」  EV車かと疑うくらい、静かな車内。美月ミツキは僕を自身の隣、フカフカの座席に座らせるなり、そんな言葉を投げかけてきた。 「だが、従属する者は従順でなければ嫌気がさす。実際、私は周囲にいた、有難い小言を投げかけてくる存在を多数、遠ざけてきた」  有難い小言、妙な表現だ。小言とは苦痛や嫌気のある言葉をさすのに、それを有難いものと表現した。  彼女の言葉は妙に頭に残るし、その多くがシンプルなワードで構成されている。  だけど……映画や討論番組に登場する典型的なホワイトカラーっぽい物理学者が、なんとか理論を語る時のように、物凄く難解に感じてしまう。  彼女の心地よい凛とした声音を鼓膜で響かせながら、ぼんやりとした意識の中、必死に思考しようと脳内をフル稼働させていた。 「お前に、一つだけ聞きたいことがある」  美月ミツキが問いを寄越してきて、僕はようやくハッとして彼女の瞳を見つめた。 「お前は何に怯えている?」  答えようとして、美月ミツキの瞳を見つめたまま口を開こうとして、断念した。  そして、震えていた。  美月ミツキの背後。微かに視界の端に浮かぶ、ノイズのような存在を直視してしまった。  奥の座席。そこに、真っ白な肌を凍り付かせ、漆黒の瞳に飲み込まれてしまった東欧風の少女が、窓の外を眺めていたのだ。  それは紛れもなく、モールで出会った幽霊少女と同じ姿だった。  僕は息を呑んで、視線を幽霊少女からも美月ミツキからも外し、足元の座席を見てダラダラと汗を流していた。  ドックン、ドックン。  鼓動が強く脈打ち始める。  美月ミツキはそっと僕の頬に手を触れて、自身の瞳を見るように誘導してきた。  僕は反射的に頬に添えられた美月ミツキの小さい手を掴んだ。離さないでくれと懇願するように。 「さあ、答えろ。私は多くを求めない。それくらいは出来るはずだ」  美月ミツキの肩から幽霊少女が顔を覗かせていた。  少女の息は煙のように白く、魂が漏れ出ているようだった。漆黒の瞳からは絶え間なく赤黒い液体がほとばしり、ニヤアッと獲物を見つけたときのような微笑を浮かべている。 「ぼ、僕は曖昧だ」  続けて僕は、 「記憶を失っていて……でも、それは――」  僕は自身の経緯いきさつを話した。つたなく、まるで幼子のように。  自身よりも肉体的に若いはずの少女に全てをゆだねるように話をした。  中年や、幽霊少女の話はしなかった。そのことを美月ミツキに語ってはならない。そんな直感が働いたためだ。  美月ミツキは黙って最後まで聞き終わると、静かにうなずいて、 「曖昧か」 「……うん」 「明人アキヒト」  ふっと笑った美月ミツキは、僕の掴んだ手をそっと引きはがした。頬には触れたままだ。 「それは全ての人にとって、同じことだ」  美月ミツキの言っていることが理解できなかった。  僕のような曖昧が、全人類共通の悩みなんて、納得がいかなかったからだ。  美月ミツキは僕の不満をあざ笑うように、僕に添えていた小さな左手を駆使して、両頬を挟み込むように掴んだ。僕はタコのようなみっともない顔になったに違いない。幽霊少女もゾッとするようなクスクスと笑いを放ってきたからだ。 「イノセントの正体を教えてやる」 「うぇ?」 「奇跡だ」  美月ミツキは僕の頬を掴んだまま、 「私は無神論者だが、こればっかりは神の存在を疑うよ。区画主義セクトリズム……極めてナンセンスなそれを体現する唯一の場所がここ、イノセントだ。だが、本来、イノセントなどこの地球上に誕生するはずがなかった」 「どういうこと?」 「区画主義はシステムはともかく、その誕生までに障害がありすぎる。米中べいちゅうだってその存在は邪険に思っていた。日本政府だってそうだ。それが手放し状態で、ここまでの惨事を引き起こすことは考えにくい」  惨事。彼女は確かにそう表現した。自らが暮らすイノセントを、まるで危険なモノみたく表現した。 「キミは――」 「そう。私はここにいる。誰かの、何らかの意思が働いたのかもしれない。その盤上の上に、私はいる。勝利条件は曖昧で、何を成せばいいのかも分からない。だが、私はここにいる。不釣り合いな知識と、勇気。些末な好奇心をも武器に、私はお前を支配している」  美月ミツキが遂に僕の頬から手を離した。その時気が付いたが、幽霊少女は既に消え失せていた。 「このゲームは酷く曖昧だ。お前も、私も。その世界の一部の住人に他ならない」 「……僕は」 「お前は気楽でいいな明人アキヒト」 「え?」 「お前の曖昧さは、私によって掻き消される。私自身が指標となり、目的となるのだから」  美月ミツキがそこまで口にしたところで、リムジンは未来都市の風貌を見せる往来で、数百メートルはありそうなビルの手前、緩やかに停車する。 「着いたようだな」  車窓からそれを確認した三ツ目サードアイは、唐突に表情を強張らせた。 「行くぞ」  言いながら、立ち上がる美月ミツキ。三ツ目サードアイがその背中に向け、慌てたように、 「み、ミス・美月ミツキ……あ、あの。な、何故ここに、我々のような者を?」 「ゲームにも、小説にも、映画にも。まずはプロローグが必要だ」 「プロローグ?」  美月ミツキに釣られて一緒に立ち上がった僕が聞くと、彼女は朗らかな笑みを見せながら、 「試練だよ。これを乗り越えねば、盤上にセッティングされる駒にもなれんぞ」  それを聞いた三ツ目サードアイは、今までのクールな素振りが嘘のように、顔を青くしてガタガタと震え始めた。  美月ミツキは構わず開放されたドアから車両を降りようとする。僕は本能的に先に車両を降り、彼女の盾としてふるまった。  しかし、三ツ目サードアイは座席に張り付いたように座ったままだ。  美月ミツキは少しだけ立ち止まると。 「三ツ目サードアイ。そこに留まるなら、死に場所は選ばせてやれんぞ」  それを聞いた三ツ目サードアイは跳ねるようにして座席から立ち上がり、美月ミツキの側に寄った。  美月ミツキはガタガタと震える三ツ目サードアイの頭を少し撫でると、 「よしよし、それが重要だ。上手くいけばお前たちを生かしてやれるかもしれん。ま、期待はするなよ」  美月ミツキは巨大なビルへと向け、悠々と歩みを進める。  僕は盾として周囲を見据えながら、三ツ目サードアイは身を縮こませながら。  これから何が起こるのだろう。ざわめく心中を秘めながらエントランスに差し掛かると、ライフルを持った武装警備員の横に幽霊少女が居て、こちらに向けて手を振っていた。 △  ビルの内部の各所にはゲートが設置されており、相当厳重なことが伺えた。  それに歩いているのはほぼ廊下だけで、オフィスに面したフロアは見当たらない。やたらと曲がり角があるし、これが意図的なものであると考えると、まるで迷路のような構造だ。  そのまま黙って歩くこと数分。ようやくエレベーターのフロアに差し掛かった。   武装警備員が美月ミツキを視界に入れるなり、スイッチを押してエレベーターを解放させる。  そのまま乗り込むと、美月ミツキはドア側に仁王立ち。僕たちに背を見せ、うなじまで伸びた黒髪を揺らしながら、 「明人アキヒト、聞け」  彼女は振り返ることなく、少しだけトーンを下げながら、 「嘘つきが嫌いというやつは、病的なまでのウソつきだ」 「え?」 「始まるぞ」  チーンッ。  到着の合図とともに、ドアが開放される。  僕たちが足を踏み入れたのは、床一面を赤い絨毯が覆い、天井がやけに高い、広大な空間だった。その中央には、サミットにふさわしい巨大な会議机が設置され、机上には最新式と思しきPCが並ぶ。  各座席には、人種の見本市のように多種多様な人々が座っていた。彼らはイノセントの重要人物、すなわち区画長たちだ。中には、日本の民族衣装に身を包んだ、美月ミツキと同年代くらいの少女の姿まである。  彼らの背後には護衛を担うボディガードたちが亡霊のように、休めの姿勢で控えていた。 「遅れてすまないな。さっそく始めようか」  美月ミツキが言いながら席に座ろうとした時、  ゴッ! ガッ!   鈍い音が室内に響き渡る。  思わず視線を向けそうになったが、美月ミツキは気にしないように歩き続けて、エレベーターから一番近い上座まで向かって行く。  僕は咄嗟に察して、早歩きで座席のところまで行き、美月ミツキの椅子を引く。彼女は当然のようにちょこんと大きな椅子に腰を下ろした。 「ふっ、よく躾けてあるな」  席にいた、三十代くらいだろうか? 比較的若そうな東アジア系の女性が僕を視界に入れながら口を開いた。  美月ミツキはそれに対し、にこやかに「だろ?」と、応える。  続けて女性は自身の座席に据え置かれたネームプレートを指して、 「おい、貴様。これが読めるか?」  座席のプレートには漢字で『雅静』と書かれていた。 「雅静ヤージン」  僕が読み上げると、どこかの座席で口笛が上がった。恐らく雅静ヤージンという名前からして中国系であろう女性も、感心したような笑みを浮かべていた。  僕はその雅静ヤージンの背後に控えている護衛が気になった。  ――少女だ。それも、シリアルキラーが身につけそうな黒い鉄製の仮面を被っていた。  その他には全体的に黒を基調としたライダースーツのような格好に、同じく黒系の厚手のコート。他の区画長たちの護衛とは一線を画すような存在感だ。   人知れず僕がその護衛に目を奪われる中、美月ミツキは全員の意識を集中させるようにパンッと手を叩くと、 「さて、世間話もこのくらいにして。そろそろ全区画長会議に移ろうと思うが――」   美月ミツキの発言には衝撃を覚えていた。  このサミットのようなテーブル。もしやとは思ったが、やはりここにいる人たちはイノセントの十三区画を代表する、それぞれの長なのだ。  しかし、数が合わない。座席には美月ミツキが埋まってなお一つ空席があり、その背後にはゴーストのように神妙な面持ちの白人男性が突っ立っていた。  ゴッ! ガッ! ゴッ!   その間にも、鈍い音は続いていた。音の元は、エレベーター横の壁の端あたりからだ。  美月ミツキは呆れた表情で座席の背もたれに肩肘つきながら、そちらに視線を向けていた。 「おい、レッカー。随分と精が出るな。MMAの大会でも控えているのか?」  ガッ! ゴッ!   僕も釣られて振り返る。視界に飛び込んできたのは、既にそれを凝視し、バイブレーションのように震える三ツ目サードアイと、     ゴッ! ガッ! ガッ!  部屋の隅で、狂ったように倒れ伏した男を蹴り続けるオシャレ坊主の白人男だった。  彼も若い。下手したらまだ二十代くらい。彼がレッカーだろうか?   スーツの上着を脱いだのか、白いシャツ姿の彼は、各所に血を飛び散らせ、凶暴そうに息を切らしていた。  倒れ伏した男は後ろ手に手錠をかけられ、顔には三ツ目サードアイと同じく黒い布を被せられていた。そして、既に命が尽きているのか、ピクリとも動かなかった。  彼にとって幸いなのは、床が真っ赤な絨毯だったという点だけだろう。 「よお、中央委員長殿。見てくれ、このクソが情報局のスパイだ」  言いながら再び足蹴にするレッカー。彼も区画の長なのだとしたら、このイノセントの倫理観は崩壊している。  暴力が公然と行われて、それを誰も咎とがめない。それどころか、その場にいる全員が我関せずといった雰囲気だ。  レッカーという白人男は息を切らしながら、震える三ツ目サードアイへと近寄った。 「で、委員長どの。この震えているお嬢さんは誰だ? 学園のお友達か?」  美月ミツキはこちらに視線を寄せるでもなく、机上に肘をつきながら。 「三ツ目サードアイ。長らく情報局の元、イノセントで暗躍していたハッカーだ」  美月ミツキがそう口にした瞬間。  ガツッ!   レッカーから強烈な左フックが飛んで三ツ目サードアイの顔面に岩のような拳が直撃した。  三ツ目サードアイは呻きのような声を上げた後、地面にて失神した。  続けて蹴りを放とうとするレッカー。僕は思わずそれを阻止しようとして―― 「明人アキヒト」  美月ミツキの凛とした声音。呪縛がかかったかのように僕の体が止まった。 「命令だ、動くな」  ゴッ! ガッ!  レッカーの強烈な蹴りが無防備な三ツ目サードアイの腹部を突き刺す。  僕はギリッと歯を食いしばった。三ツ目サードアイ。付き合い自体は皆無に等しい。関わりと言えば同じく情報局の下請けをしていた程度だ。だけど――  ゴッ!  三度の蹴りで覚醒した三ツ目サードアイは最後の抵抗だと言わんばかりに震える手を上げながら、 「おえがい……ころさ……ころさない……で」  今にも死に絶えそうな、血を吐く少女に唾を吐くレッカー。彼は思い切り足を振り上げたタイミングで――  僕のタックルを喰らい、地面に転がっていた。 「ハッ、してやられているではないか」  視界の端。雅静ヤージンが机に肩肘をつきながら笑っていた。  「明人アキヒト、分かっているな?」  美月ミツキの無機質な声音。彼女は続けて、 「お前は一つの区画を収める長に、手を出したのだぞ」  強烈なアドレナリンの高まりを感じた。心臓が破裂しそうなくらい脈動する。  立ち上がり、首を鳴らすレッカーを横目に、僕は震える声音で、 「何とかしてくれよ」  何でそんな言葉を吐いたのだろう。何を意図して口にしたのだろうか?  だが、美月ミツキは誰にも気づかれないようにか、僅か数ミリだけ。口端を持ち上げた気がした。 「おい、もしかしてテメェも小汚いスパイ野郎か?」  僕が無言の回答を寄越すと、レッカーは水泳前に軽く準備運動をするように首を鳴らし、次にファイティングポーズをとった。 「ガキ、クソガキ。気絶したら終わりだ。お前は第五区画の拷問室送りだ。死ぬまで自分の体が切り取られていくのを眺めることになる」  彼の構え、本能的にボクシングの構えだと思った。恐らくキックは来ないだろう。革靴だと無抵抗の人間を蹴るくらいしか効力を発揮しないはずだ。 「お手並み拝見だな」