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地獄の蓋

「お手並み拝見だな」   恐らく雅静ヤージンの声。戦闘を前に、急速に冷めていく脳内。嗜虐的サディスティックな戦術が脳内を支配する。  しかし―― 「シッ!」  僕はレッカーの閃光のようなジャブを避けられなかった。  脳天テンプルを直撃する衝撃。早い。彼は相当な研鑽を積んだことがうかがえる。衝撃の間、僕は不相応にも賞賛を浮かべていた。    ダッキングしようとしたらそこにパンチが見舞われた。僕は膝を持ち上げ、ムエタイのような構えでそれをガードする。ガツンッ。かなり痛い。  だけどそれはレッカーも同じだったようだ。彼は後退スウェイで数歩分離れると、痛そうに拳を振っていた。  僕は改めて構えを直した。ムエタイでもない、ボクシングでもない、独特な構えだ。  左手は拳を作ったまま首元に、肘を突き出すように。右手は休めの姿勢のように、背後に隠した。   何故かそれが体に染みついた、呼吸のような構えだった。  スウッと、僕から息が漏れる。  レッカーは経験上、相対したことのない構えに出会ったに違いない。警戒したようにピタリと動きを止めた。 「面倒だ」  レッカーが不意にそう口にした。  彼は唐突にファイティングポーズを解くと、自身の護衛、席にて待機していたスーツの白人男に目配せした。  白人男はこちらに小走りで近寄って来ると。懐を漁り、僕に向けて拳銃を向けてきた。  一瞬でアドレナリンの呪縛が解かれた。それと同時に、僕の中で後悔のようなモノが累積していくのを感じた。  僕は今から死ぬのだ。訳の分からないイノセントと呼ばれる場所で、遂さっき出会ったばかりの人たちに看取られながら。  顔面が蒼白になる。無意識な戦闘という甘美が解かれ、死を意識した瞬間、僕の体に恐怖が伝染した。  それを見たレッカーは見事なまでのせせら笑いを披露した。 「おいおい、今更後悔したのか?」 「……うん」  素直に答えると、レッカーは神妙な面持ちに変わった。  僕は目を瞑る。数秒後に盛大に脳漿のうしょうを散らすイメージをしながら、その時に備えて歯を食いしばった。 「やれ」  レッカーの号令。発砲音は鳴らなかった。  恐る恐る瞼を開けてみれば、目前に艶やかな黒髪が浮かんでいた。  美月ミツキだった。彼女は僕の前に立ち、腕を組んで仁王立ちしていた。 「どういうつもりだ?」  レッカーは雅静ヤージンを睨みつけながら、非難めいた声音でそう口にした。 「栄えある区画会議でハシャギすぎだ。流石に目に余るぞ」  飄々とした声音でそう返す美月ミツキ。レッカーは盛大に肩をすくめた。   「おいおい、先に手を出してきたのはこのガキだぜ?」 「そのガキの仲間を目の前で殺そうとした。面倒なことになるのは想像に難くないだろ? そこまで馬鹿じゃないはずだ」  雅静ヤージンまでもが参戦すると、レッカーは冷めた目で美月ミツキを見やった。 「文句なら中央委員長どのに言ってくれ。そのガキを恥ずかし気もなく連れてきた意図はなんだ?」 「理由を聞くまでもなく、先に手を出すのは頂けんぞ、レッカー」  美月ミツキの発言に、レッカーは何かを言いかけて、中断した。彼は全員の視線を浴びながら、ツカツカと席まで歩み寄って、ドカッと乱暴に腰を下ろした。 「じゃあ、聞かせてもらおうか。その納得できる理由ってやつを」  美月ミツキはニッと笑みを浮かべると、自身の前に設置されてあるPCを操作した。 「今から送信するデータを閲覧してくれ。今回の騒動の顛末てんまつを記してある」  美月ミツキの送信したデータを確認した区画長たちは、各々様々な反応を示していた。 「ふむ……此度のテロは情報局の差し金ではないわけか。しかし、情報局は巧みにイノセントにネズミを潜り込ませていたようだな」  そう口にしたのは顎に手を当てた雅静ヤージンだ。全員が同意するように頷きながら、PCをつついていた。 「情報局の目的はイノセントと日本国との戦争回避のため、中央区画に所在している区画長を守ることだった……。ふむ、いささか疑問は残りますが理解は出来ますな」  続けて、他区画の長の発言。それに対し、端を切ったように区画長たちが会話を始めた。 「日本国とイノセントとの戦争は、日本にとって長期に及ぶ内戦を意味する。そして、こちらは軍事ドローン産業でも最先端を走る技術を保有している。日本としては何としても争いは避けたいというのが本音でしょうな」 「しかし、その過程で情報局に送り込まれた少年は元トレントの社員だと?」 「トレント社は世界各国を利用し、利用される巨大軍需産業だ。その社員が情報局の軍門に降ったとなると、機密漏洩を恐れたトレント社の積極的介入に繋がるかもしれませんよ」 「レッカーが先ほど手を上げた少女も元情報局ですか……はてさて、中央委員長どのは元情報局の人材を全員召し抱え、独自の兵団でも創設するつもりですかな?」 「それは穏やかではありません。イノセントの中央区画長が独自の手駒を持つなど、イノセント規約の著しい逸脱行為ですよ」 「どういうことですかな、中央委員長?」   話題は僕や三ツ目サードアイのことに移り、会議場の視線は美月ミツキに集中する。対する美月ミツキは、先ほどから浮かべる不遜な笑みを崩さなかった。  「手駒ではない。これはボディガードだ」  それに対し、会議場では分かりやすく失笑が飛び交った。 「ほう、拾った犬をそのまま番犬にするのですか。レッカーとのやり取りを見るに、躾が出来ていないようにお見受けしますが?」 「いささかリスクの方が高すぎますな」 「問題を起こしたときはどのような責任をとられるおつもりでしょう?」  美月ミツキに対し、厳しい質問が飛び交っていた。  それを聞きながら、僕は一人、唾をごくりと飲み込んでいた。  やはり、区画の長であるレッカーとやりあったのはまずかったかもしれない。しかし、それをしなければ間違いなく、か弱い少女である三ツ目サードアイは蹴り殺されてしまっていたであろう。  そんな誰が聞いてくれるわけでもない言い訳を浮かべている間に、飄々とした美月ミツキが返答した。 「つまらないことを聞いてくるな。事態は完璧にコントロールをしている。何か不始末があった時は、迷いなく『大いなる呪い』でも、何でも起動するが良い」  ……呪い?   僕が疑問を浮かべるなか、区画長たちはそれを聞いて妙に大人しくなった。 「ほう……それは素晴らしい心構えですが……他の情報局は? 資料では、イノセント警察が拘束したのは床に転がる哀れな彼を含め、十三名となっていますが?」  それを聞いた僕は思わず視線を背後の床に伏した男に向けていた。布を被せられてピクリとも動かない彼は、やはり僕と同業者。情報局の下請け的存在だったのだ。  僕は勝手に、それに未来の自分の姿を重ね合わせて身震いしていた。 「イノセント法に基づいて、適切に処理した。問題ない」  美月ミツキがそこまで口にしたところだった。   会議中ずっとつまらなそうにしていたレッカーは、立ち上がるなりジャケットを羽織ると、 「付き合ってられん」  その発言に対し、正面に座っていた東南アジア系の区画長が顔をしかめた。 「レッカー、それはイノセントの存続を危ぶむ発言ですよ?」  レッカーは上着のボタンを締めながら、その場の全員を敵視するように鋭い視線を左右させた。 「お前ら全員、『コト』の重大性を理解していない」  レッカーは上着のボタンを締め終わると、ポケットに手を突っ込んで、チンピラのような姿勢を作った。 「イノセントにネズミが潜り込んだ。ここまではまあいい……中共だろうが、CIAだろうが、情報局と 同じくネズミどもは始末してきた。だが、今回ばかりは毛色が違うぜ? イノセントに連射機能のあるライフルを持った連中が忍び込んだ。そんなこと、日本にいる馬鹿なテロリストどもに出来るはずがない。分かるか? 明確な裏切り者がどこかの区画にいやがるんだよ!」  レッカーの演説めいた叫びが会議室内にこだまする。シンと静まり返る室内。レッカーは周囲を見回し、独壇場となった部屋を再確認したように鼻を鳴らすと、美月ミツキに向き直った。 「委員長、俺は退出させてもらう。今後も第五区画は会合に参加しない」 「ほう。それはイノセント全体への挑戦か?」  「イノセントが通常の機能が復帰するまで、俺は会合に参加しない。第五区画はそれまでイノセント機能を凍結する」  レッカーはそのまま退室するのかと思いきや、僕の横を通り過ぎざまに、 「またな」  ボソッと呟くと、そのままエレベーターへと消えていった。しばらく呆然と立ち尽くしていた僕だったが、ボコボコにされた三ツ目サードアイのことを思い出し、駆け寄って応急処置を始めようとした。 「触るな!」  美月ミツキが初めて声を荒らげた。僕がメデューサに睨まれたみたいに静止すると、彼女は不機嫌そうに鼻を鳴らした。 「まことに不愉快だ。第五区画は凍結を宣言、イノセント始まって以来の危機だ」  彼女は立ち上がり、全員を見据えながら、  「会合の内容も変更せねばならん。日を改めよう」  それに対し、頷いた区画長たち。そして、全員が神妙な面持ちのまま立ち上がる。  そこへ、雅静ヤージンが補足するように口を開いた。 「レッカーは名前の通り乱暴者だが、やつの言っていることも一理ある。裏切り者を見つけ出す算段をまとめておけよ」  こうして会議は終了した。美月ミツキは僕と三ツ目サードアイを視界にも入れず、そのままエレベーターへと向かって行く。  ……僕は、彼女の命令を無視したからクビだろうか?  脱力する三ツ目サードアイを助け起こしながら、彼女の体からとある違和感を感じた。あれ……もしかしてこれって。 「もし、そこのお方」  凛とした声音。着物の少女に呼びかけられ、顔を上げる。艶のある黒髪ハーフアップで、美月ミツキと同年代くらいだろうに、妙に大人の気品を感じた。  彼女は続けて、 「美月ミツキに置いて行かれますよ?」   僕の視線は、着物少女と既に美月ミツキが乗り込んだエレベーターを二度ほど行き来して、それからようやく、僕は慌てて三ツ目サードアイを助け起こし、美月ミツキの乗り込んだエレベーターへと向かって行く。  間一髪飛び込んだエレベーター。閉まりゆく扉の先にいたのは、袖をつまんで小さく手を振る着物少女の姿と、雅静ヤージンを中心に、元情報局と思しき死体を囲んで何やら談笑に耽る区画長たちの姿だった。  ドアが閉まるなり、美月ミツキは腕を組んだまま盛大にため息のようなものを漏らした。 「おめでとう。一先ず、第一の関門は突破した」 「……はぇ?」  思わず間抜けな声を漏らすと、美月ミツキは暴力的なまでの上目遣いで、 「見事、地獄の蓋が開いたわけだ」