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高貴なる彼女

 三ツ目サードアイに与えられたのは、美月ミツキの寝室の隣、かつて使用人が使っていたとおぼしき部屋だった。広さは僕の部屋と同じくらいだが、中身の密度が違った。 「喜べ。民間で流通しているPCとしては最高峰のスペックだ。桁が二つは違うぞ」  美月ミツキの言葉通り、デスクには壁一面を埋め尽くすほどの巨大モニターが並び、本棚ほどもあるPC本体が「ブーン」という羽虫のような駆動音を響かせている。  呆然とする三ツ目サードアイを美月ミツキが促す。 「起動してみろ」  彼女が恐る恐るスイッチを入れると、独特な起動音と共にモニター群が瞬時に発光した。三ツ目サードアイは口を半開きにしながら、憑かれたようにキーボードを叩き始める。 「め、メモリが、一テラバイト……!?」  戦慄する彼女に、美月ミツキは満足げな笑みを浮かべた。 「八年前の量子事故以来、CPU技術は足踏みを余儀なくされたが、人類は既存の技術を研鑽し、数千コアという極限性能まで引き出したのだ」  混乱した三ツ目サードアイが僕に助けを求めるような視線を送ったが、僕が「さっぱりだ」という顔を返すと、彼女はすぐにモニターの光の中へと戻っていった。 「ミス・美月ミツキ。私は……こんなレベルの機材、使いこなせる自信がない」  その言葉を、美月ミツキは鼻で笑い飛ばした。 「ナンセンスだな。キッチンの道具を全て抱えて料理するシェフがいるのか? 私は見たことがないぞ」  美月ミツキの返しは流石だった。感心するのも束の間、彼女は部屋を去り際、僕の肩にポンと手を置いた。 「三ツ目サードアイの分の家事も頼むぞ、明人アキヒト」 「……はい?」 「当然だろう。お前は頭脳ではなく、身体で稼ぐ種類の人間なのだからな」  どうやら美月ミツキは現場職よりIT部門を優遇するタチの経営者みたいだ。チラリと三ツ目サードアイの様子を横目で伺えば、若干高揚した表情で高性能PCをつついていた。  やれやれ、どうやら彼女のパンツも僕がごしごしと洗わなきゃいけない羽目になるみたいだ。そんなことを思っていた僕だったが、それは的中するどころか災厄の序章に過ぎなかった。  それからの一週間、三ツ目サードアイは美月ミツキの呼び出し以外、一歩も部屋から出てこなかった。食事を運ぶたび、部屋には少女らしからぬ異臭が漂い始め、彼女の身なりもどんどん荒んでいく。  美月ミツキに相談しても「ハッカーらしくていいじゃないか」と能天気に笑うだけだ。 「そんなに奴の素行が気になるなら、相棒のお前が注意しろ」  挙句の果てにそう突き放された。美月ミツキの頭の中では既に三ツ目サードアイと僕のコンビが誕生しているようだけど、一週間経っても親交が深まる兆しは皆無だった。  正直、僕は彼女が苦手だ。会話というものが成立しない。 「ご飯だよ」と声をかけても無視。 「洗濯物は?」と聞けば、今着ている服を指さす。 「着替えるの?」と尋ねると、「今着ているから無理」と真顔で返される。  部屋が臭うから掃除をしたいと言えば、「なんで?」と純粋な疑問形をぶつけられる。  まるで次に何をするか分からない虫を相手にする気分だった。  そんな惨状に見かねたのか、ある日美月ミツキから「二人で買い物に行ってこい」と指令が下った。三日間にわたる「頼むからシャワーを浴びてくれ」という僕の懇願が実を結び、彼女はようやく湿ったボサボサの頭で部屋から這い出してきた。  僕は仕方なく彼女を椅子に座らせ、ドライヤーとヘアオイル、ブラシを手に取った。 「へんなの」  丁寧にブラッシングをしている最中、三ツ目サードアイが不意に呟いた。 「何がさ」 「……女の髪、扱いに慣れてる」  実は、美月ミツキの風呂上がりのケアも僕の仕事だ。一時間かけてサラサラ黒髪を整え、マッサージまでこなすのが日課になっている。そのことを正直に話すと、 「……彼女は、そこまであなたに気を許しているのね」  三ツ目サードアイの声に、不機嫌そうな棘が混じった。僕だって好きでやっているわけではない。ボランティア精神に近い心境なのに、そんな言い方をされるとカチンとくる。  僕が黙り込むと、彼女は気まずさを紛らわすように唐突な講釈を始めた。 「この一週間、私はAIの調教を行っていた」 「……調教?」 「AIは補助ツール、というのは古い価値観。企業でもAIは社員として扱われ、納税の対象。一人の人間の号令で、数万人のエンジニアリングを完遂させる魔法の杖。けれど、量子事故でその高度な基盤は失われた。今のハッキングは、AIを運用しながら複数のサーバーを経由させるハイブリッド戦。ハッカーは演奏者から、指揮者へと進化したの」 「……なるほどね」 「けれど、AIの導き出す答えが常に最適とは限らない。私が、AIよりも速く、より正確な道標を刻む必要がある……だから、時間が必要だった」  そこで言葉が途絶えた。僕が続きを促すように首を傾げると、彼女は前を向いたまま言った。 「以上」 「……それだけ?」  以上、か。思わずこけそうになってしまった。何だったんだ、今の時間は。  鏡越しに映る三ツ目サードアイは、何故か少しだけ誇らしだった。 △  結局、僕たちがお出かけに出発したのは十一時を過ぎてからだった。  玄関前まで見送りにきた美月ミツキは、手入れされて艶を増した三ツ目サードアイの髪を愛おしそうに撫で、「やっぱり、こっちの方がいいな」と気まぐれな賛辞を贈った。  迎えの自動運転車に乗り込んでも、車内に会話はなかった。三ツ目サードアイは唇を一文字に結んで窓の外を凝視しており、僕もまた、ここ数日の騒動による疲労の澱を抱えていた。  家電ショップの駐車場に降り立つと、僕は職業病に近い警戒心で周囲をスキャンした。店舗構えは控えめだが、駐車場だけが異様に広い。その空間の余白が、かえって僕の神経を逆なでた。 「行こうか」  僕は三ツ目サードアイをエスコートするように歩き出す。懐に潜ませたCzシーゼットの感触を確かめ、いつでも抜き放てるよう意識を研ぎ澄ます。三ツ目サードアイは僕の過剰なまでの警戒に一瞬戸惑う素振りを見せたが、黙って僕の後に続いた。  異変が起きたのは、店舗の自動ドアに差し掛かった時だ。  中から出てきた数人のグループ——人種もルーツもバラバラな少年少女たちと鉢合わせるなり、三ツ目サードアイの身体が凍りついた。 「あれ、アーリヤか?」  七名ほどのグループ。全員が十四から十六歳ほどだろうか。彼らは三ツ目サードアイを『アーリヤ』と呼び、顔に卑屈な笑みを貼り付けた。 「最近学園で見ないと思ったら。なあ、理由はみんな知ってるぜ」  先頭に立つ短髪の白人の少年が、ズイと身を乗り出して三ツ目サードアイに顔を寄せた。 「お前、ネズミなんだってな。情報局の薄汚ねえネズミだ。イノセントが気に食わないなら、さっさと消えればよかったんだ」  怯える三ツ目サードアイを庇うように、僕は彼女を背後に引き寄せた。少年が標的を僕に変える。背丈は僕と同じくらいだが、服の上からでも分かるほど筋肉質だ。 「聞いたぜ。お前、レッカーとやり合ったんだって?」 「……さあね。人違いじゃないか?」 「つれないな。俺はメイソン。よろしくな」  メイソンが差し出してきた手を、僕は握らずに黙殺した。彼は薄ら笑いを浮かべたまま、ゆっくりと手を引っ込めた。 「デートの邪魔をして悪かったよ。ああ、美月ミツキにもよろしく言っておいてくれ」  レッカーの一件だけでなく、美月ミツキの名前まで平然と口にする。その底知れなさに奥歯を噛み締める僕を置き去りにして、メイソンの一団は去っていった。  僕は振り返り、小刻みに震える三ツ目サードアイの手を握った。 「大丈夫?」 「……うん」  拒まれなかった。僕たちは繋いだ手の力を緩めないまま、店内に逃げ込むように足を踏み入れた。  内装は古ぼけていたが、棚に並ぶガジェットだけは最新鋭の光を放っている。 「さて。通信機とスマートウォッチだったよね。僕は疎いから、色々教えてくれるかな」  努めて明るく振る舞った僕に対し、三ツ目サードアイはただ控えめに頷いた。 「……これが、最適」  彼女は迷うことなく棚から二つの商品を掴むと、そのまま僕をカウンターへと引っ張っていった。  機能の比較を楽しみながら選ぶつもりだった僕は、少しの寂しさを感じながら、彼女の急ぐ背中を追いかけた。 △ 「さっきの彼ら……第五区画の有力者たちの息子」  帰路の車内。沈黙を破ったのは三ツ目サードアイだった。 「そうなんだ」 「メイソンは、レッカーの甥。次期第五区画長と目されている」 「へえ、レッカーの甥か。未来の塊みたいなイノセントにも、世襲制なんて古臭いシステムがあるんだね」  僕が皮肉混じりの感想を漏らすと、彼女は首を横に振った。 「違う。メイソンは優秀……レッカーよりも、ずっと」  あの狡猾そうなレッカーよりも、か。  アメリカンハイスクールを扱ったドラマに出てくる、典型的な取り巻きを連れたいじめっ子に見えたが、どうやら見かけによらないらしい。 「別に、私が学園で彼に嫌がらせを受けていたわけじゃない。そもそもメイソンと私では身分が違う。これまで一度も会ったことも、言葉を交わしたことさえない」 「え……? でも、向こうは君のことをよく知っている風だったけど」 「情報を正しく認識しているという、一種の演出。あるいは誇示」  まだ十代だというのに、とんでもない食わせ者のようだ。驚く僕に、三ツ目サードアイは淡々と続けた。 「私はメイソンの恐ろしさを知っている。その脅威は、雅静ヤージンに匹敵する」 「雅静ヤージン……」  あの、第三区画の女性区画長か。美月ミツキとも親しげで、あの場にいた誰よりも尊大だった彼女。 「あの人って、そんなに怖いの?」 「イノセントで最も恐れられているのは第三区画。その理由は、雅静ヤージンの冷徹な知性とカリスマ性に依るところが大きい」  僕は難しい顔をして腕を組んだ。聞けば聞くほど、釈然としない。 「どうしたの?」 「……正直、分からないんだ」  イノセント。異なる思想を抱く者たちが寄り添い合う、巨大な経済圏にして共同体。  彼らは互いの信念こそ相容れないが、同じ都市という船を漕ぐ運命共同体であり、切っても切れないパートナーのはずだ。  それなのに、なぜ彼らは牙を隠し、背後を警戒し合う敵対関係に甘んじているのか。  僕がその疑問を口にすると、三ツ目サードアイは重い沈黙のあと、静かに視線を落とした。 「イノセントには、有名な小話がある」 「小話……?」 「童話じみているが、ひどく皮肉な話。ここの住人なら一度は耳にする」  三ツ目サードアイは、淡々と語り始めた。  ある時、ルーツも言葉も異なる人々が孤島に集まった。彼らは融和を願い、絆を結ぶため、各勢力の長たちを招いて盛大な宴を催した。  宴は一週間、昼夜を忘れるほどの大騒ぎだった。  誰もが笑い、杯を交わし、肩を組み合った。宴が終わり、それぞれの長たちは満足げな笑みを浮かべて、自らの共同体へと帰っていった。 「そこで、それぞれの長たちは、待っていた仲間たちに告げた」 「……なんて言ったの?」 「『あいつらとは到底やっていけない。反吐が出る』と」  僕は言葉を失った。その答えは、僕の混乱をより深いものにしたからだ。 「それって……どういう意味? 嫌い合っているのに、どうして一緒にいられるの?」 「イノセントは区画で隔たれ、互いに差別し、罵り、心底嫌い合っている。それがこの場所の本質なの」 「……どうしてそれで破綻せずにやっていけるの?」  僕が尋ねると、三ツ目サードアイは右手首に巻かれたデバイスを掲げた。滑らかで無機質な光沢を放つ機械。僕がつけられているGPSバンドよりも、はるかに精密な造りをしている。 「これはUI値を測定するバンド。今日購入したスマートウォッチにも、同様の機能が組み込まれている」 「UI値?」 「ユーザー・インデックス……簡単に言えば、感情を数値化し、反社会分子を割り出す機能」 「感情を、測定する……?」 「一般市民に配られたGPSバンドのような安物なら、精度はそれなり。けれど、体制に対する強い怒りや、計画的な殺意を抱けば、システムが即座に反応する仕組み」 「……それが、イノセントを繋ぎ止めている仕組みってわけか」  あまりに効率的で、あまりに非人間的なシステム。僕が感心と嫌悪の入り混じった溜息を吐いていると、三ツ目サードアイがちらちらと、僕と繋がれたままの右手を確認するような仕草を見せた。 「どうしたの?」 「……いつまで、手を握っているの?」 「あ」  僕は慌てて、ぱっとその手を離した。 「ごめん、嫌だった……?」  申し訳なさに気まずい沈黙が流れる。けれど、三ツ目サードアイは無表情のまま、再びそっと左手を差し出してきた。