ウィリアム・トレント
――固定カメラ視点。
その日は、世界が白一色に塗り潰されるほどの猛吹雪だった。
陽はとうに落ち、漆黒の闇から窓を叩きつける雪礫は、まるで執拗に獲物を追い詰める獣の爪音のように響いていた。
「ジャック、帰ってくるかな」
東アジア系の少年、ケイが窓の外を見つめて呟いた。不安を誤魔化すように吐いた吐息がガラスを曇らせ、彼はそこに震える指で星のマークを描いた。
ソファで本をめくる東欧系のアナは、ケイの心配を軽くあしらう。
「迎えに行っても、彼が雪だるまを二つ担いで帰る羽目になるだけよ」
その直後、玄関の扉が蹴破られるように開いた。
飛び込んできたのは、雪を被りコートが白一色に染まったジャックだった。駆け寄ったケイを、ジャックは折れんばかりの力で抱きしめる。
「冷たいよ、ジャック」
驚いて身をよじったケイに対し、アナはいち早く異常を察知し、本を置いて立ち上がった。
「……何があったの?」
「奴と遭遇した」
ジャックの乾いた声に、室内が凍りつく。
「いいか、よく聞け。ケイ」
ジャックは少年の肩を掴み、その眼を真っ直ぐに射抜いた。
「ついに、敵が来た。重武装で逃げるぞ。準備しろ」
「え……? あと三ヶ月は、ここなら安全だって……」
「俺もそう思っていた」
ジャックは吐き捨てるように言い、無造作にカバンへ資材を詰め込み始めた。
「奴って……どんなだった?」
パシッ、と乾いた音が響いた。
質問を重ねるケイの頬を、アナが容赦なく張り飛ばしたのだ。驚愕に目を見開く少年に、アナは鋭く言い放つ。
「立ち話をしている暇はないの! 急ぎなさい!」
呪縛から解き放たれたように、ケイは自室へと駆け出した。逃走用のバッグをベッドに放り、防寒着を纏い、最低限の武装を整える。リビングへ戻ると、そこには白いテープで迷彩を施した自動ライフルを構えるジャックと、震える手で拳銃を握りしめるアナの姿があった。
「行くぞ。家の明かりは消すな。暖炉もそのままだ」
ジャックが玄関に背中を預け、流れるような動作で周囲を警戒する。訓練された動きでその背後に続くケイ。アナも不器用ながら、必死に二人の後に続いた。
外は氷点下の地獄だった。
猛吹雪が肌を刺し、息を吸うだけで肺が凍りつきそうになる。三人は雪を漕ぐようにして四駆車へ乗り込んだ。車内はキンキンに冷え、吐き出す息が真っ白に立ち込める。
「ウィリアム・トレント」
エンジンの震動と共に、ジャックがその名を呪文のように零した。
「……だれ?」
「トレント社が生み出した、怪物だ。それが敵の正体だ」
暖気がようやく回り始め、熱伝導ヒーターがフロントウィンドウの氷を溶かしていく。
「なんで、急に教えてくれるの?」
「俺も今日まで知らなかったん。ただ……唐突に『記憶』として流れてきた」
「記憶?」
「ああ。俺と、俺たちと同一の個体たちの記憶が、突然雪崩れ込んできたのさ」
ジャックはそれ以上語らず、アクセルを踏み込んだ。
「どこへ行くの?」
「分からない。だが、逃げるしかない。奴は怪物だ」
「話し合いは……できないの?」
「無駄だ。飢えた獣に命乞いをする奴がいるか? 実際――」
ガキンッ!
鋭い金属音と共に、車体に弾丸が弾けた。ジャックが咄嗟にハンドルを切る。車内は悲鳴と共に激しく揺れ、制御を失った車両は巨大な樹木へと激突した。
エンジンが止まり、静寂が訪れる。いや、静寂ではない。遠くから雪を踏みしめる「死の足音」が近づいていた。
「ここでお別れだ。アナ、ケイを頼むぞ」
ジャックはライフルを掴むと、冷気が吹き荒れる外へと飛び出していった。
「ジャック!」
ケイの叫びに応じるのは、断続的に響く銃声だけだった。
「ケイ……行きなさい」
隣でアナが真っ青な顔で囁いた。彼女は涙を浮かべながら、血に染まった自身の足を指差した。銃弾が車両を貫通し、彼女の自由を奪っていた。
「愛しているわ。あなたは本当に、本当に私の息子のようだった」
アナはケイの額に最後の手向けのようなキスをすると、不格好に足を引きずり、銃声が響く吹雪の彼方へと消えていった。
一人残されたケイは、車内でみっともなく震えていた。初めて肌で感じる死の気配。
けれど、やがて彼は動き出した。
動きを鈍らせる分厚い防寒着を脱ぎ捨て、まるで身軽な生贄にでもなるかのように、ラフな格好へと戻る。
震える手でドアを開け、彼が歩み出したのは――ジャックもアナも消えていった、死の咆哮が響く白銀の闇だった。