裏切り者
朝というのはセールスと同じで、頼みもしないのにやってくる。
天変地異を知らせるネズミのようにアラーム前に目覚めた僕は、そのまま急ぎ歯を磨いてシャワーを浴び、ドライヤーで髪を乾かす。それも終われば、クローゼットの中から「これもファッション」だと言い張るラッパーのように、適当に服をチョイスして廊下へと飛び出すだけだ。
現在時は四時三十分。三ツ目がこの屋敷の住人に加わるまでは五時出勤だったけど、今は三十分早めている。理由は、彼女も美月と同様、かなり手のかかる存在だからだ。
彼女は電気ショックを必要とする心肺停止状態の患者のように、自力で目覚めることはまずない。深夜帯までパソコンを弄っているらしく、万全なコンディションで起きてくるのは十時を過ぎてからだ。
さらにはハムスターのように、ゴミや洗濯物をため込む習性がある。洗濯物をため込まないという点で言ったら、ハムスターの方が優秀だ。
お菓子やジュースを部屋に持ち込んで、定期的にセルフパーティーを開催してから、無茶苦茶にする。その癖、僕が部屋に入るのを嫌がるので、とても、とっても難儀しているのだ。
なので、最近ではもっぱら彼女が目を覚まして妨害行動を起こす前に部屋へと侵入を果たし、片付けと洗濯物を回収する。
この屋敷には主人用、使用人用含めて、十二台の洗濯機が存在する。
見た目はシンプルだけど、流石未来都市の洗濯機、性能がすごい。乾燥にシミ抜き、シワ取りまでやってくれるのだ。果てにはハンガーまでかけてくれるので、この機械が出回れば世のクリーニング屋が絶滅することは明白だろう。
洗濯を終えると、美月を起こし、洗面その他もろもろをサポート。彼女が一階のリビングで食事をとっている隙に部屋の掃除をする。美月は自分でもある程度身の回りのことが出来るせいか、変に拘りが強い。カーペットなども決められた手順で掃除機をかけなければ、「最初からやり直し」を宣告されるので、二度手間にならないよう、常に細心の注意を払っている。
掃除まで終わったら美月の食事の片付けをして、彼女の愛飲するコーヒーを準備する。美月はそれから十一時過ぎまでリビングでパソコンを打ちこんでいるので、その間に三ツ目を起こしに行く。三ツ目は高確率で睡眠を続行するきらいがあるので、気合を入れてから入室する。これは僕にとっての、一日おける最大の山場だ。
数十分の格闘の末、無理やり彼女をベッドから引きずり下ろし、洗面をさせる。最近、彼女が毎日歯磨きをしてないことに気が付いたので、ちゃんとお口のケアをするかどうかを監視し、着替えさせてからリビングへ。
雇用主である美月に「……グッドモーニング」と、挨拶させ、食事をとらせる。その間に色々と仕込みがあるので、屋敷内を、モップのように駆けずりまわって準備をし、再びリビングへと舞い戻る。
これでちょうど十一時くらいだ。
「さて、一段落ついたな」
美月がこの言葉を発すると、ジョギング程度の運動に出掛けるという合図だ。
僕は用意していたスポーツドリンクとタオルを手に、ぼうっと食事を続ける三ツ目に対して、「ちゃんと食べ終わったら片付けておいてよ」と言葉を残し、屋敷の玄関へと向かう。すると、美月がスポーツウェアに着替えて部屋から降りてくるので、僕が玄関の扉を開けて一緒に外へと出る。
「今日は良い天気だ。ランニングが終わったらキャッチボールでもしたいな」
美月が蒼穹を仰ぎながらそんなことを口にする。もちろん、これも想定済みだ。キャッチボール用のグローブは二組、既に玄関前にスタンバイを完了している。
以前、「へえ、キャッチボール出来るんだね」と返答したところ、彼女が不機嫌そうに「お前は気がきかないな」と、口にしたのを鮮烈に覚えている。少し、トラウマだ。
美月は以前雇われた使用人たちをある日突然クビにしたらしい。情報通の三ツ目からも裏どりした情報だ。それを聞いた僕はクレイモアのようにいつ起爆するか分からない彼女の機嫌を損なわないよう、細心の注意を払いながら生活を送っている。
美月の走るスピードはゴージャスな育ちと小柄な体格を考えると当然と言うか、人並み以上に遅かった。だけど、別段、息を切らした様子も無いし、本当に軽い運動という感じだ。決して無理はしない。そんな強固な意思を感じられるくらいに。
「私は学園への登校を再開することにした」
キャッチボールをしながらの美月の発言だ。僕は硬球をキャッチした状態のまま、固まっていた。
「えーと、学園?」
「そうだ。元々学生だ。テロの対象になってたから休学していたが、そろそろ通わないと単位がヤバいからな」
美月がバッチこいとしたので、ボールを投げ返す。美月は危なげなくキャッチすると、綺麗なフォームで、直ぐに投げかえしてきた。六十キロくらい? スピンがかかっていて良い球だ。
「いつから行くの?」
「明日から、八時には出発する。そのつもりでお前も準備しておけ」
「僕はどうすれば?」
「お前は私の護衛だろうが。銃を持って私の周りをウロチョロしておけ」
僕は何とも言えない表情で美月へとボールを投げ返す。美月はまるでゲッツーを狙っている内野手のように軽やかにステップを踏みながら投げ返してきた。
「それにしても、上手いね」
僕が素直に賞賛の言葉を贈ると、美月は腰に手をやって、ふふんと笑った。
「投擲、それは紀元前から人類が用いてきた最古の戦術だ」
「へぇ?」
「つまり、キャッチボールも出来ないのに人類と名乗るのはおこがましいというわけだ」
「暴論だなぁ……」
「それにしても明人。お前も上手いではないか」
「僕が?」
「ああ。暫く野球を研究していたのでわかる。中々サマになっているぞ」
言いながらバシッとお腹に響くような球を投げてくる美月。初めて彼女に褒められたのが、投擲フォームだというのが何だか切ないけど、素直に「ありがとう」と言っておいた。
△
翌朝は、いつもより早い目覚めだった。
今日から美月が学園へ復帰する。僕はその護衛として同行する手筈だ。
てっきり元学生の三ツ目も登校するのかと思っていたが、彼女はイノセント内でも複雑な立場にあるらしく、主戦場はもっぱら電脳空間だ。
結果、彼女は邸宅から情報を提供する司令塔として引き続き、引きこもり生活を継続することになった。
「ご飯、ここに置いておくよ」
寝ぼけ眼の三ツ目に食事を届ける。
彼女はコクリと力なく頷いたが、そのまま二度寝してしまわないか心配だった。とはいえ、こちらにも時間がない。後ろ髪を引かれる思いで部屋を後にした。
流れるような動作で美月の部屋に飛び込み、もはやルーティンと化したケアを済ませて朝食を供する。いつもと違う点があるとすれば、彼女が学園規定の制服に身を包んでいることくらいだろう。
紺を基調とした、華美さを削ぎ落としたデザイン。小柄な彼女にはよく似合っていたが、どこか時代錯誤な重厚感があり、ホグワーツの生徒を彷彿とさせた。
美月が最後の一口のコーヒーを飲み干し、端末の電源を落とした。時刻はちょうど八時。
学園への出発の時間となった。一緒に乗り込むのは自動運転の軽自動車だった。以前乗ったリムジンとは大違いだ。美月曰く、あれは実用性からいって皆無で、「気晴らし程度」に乗るものらしい。
気晴らし程度でリムジンとは、人っ子一人いないもの寂しい遊園地を貸切って、それでも横に女を連れて楽しんでいる悪趣味な富豪のような感性だと、悪口にもなりそうな言葉が脳裏をかすめていた。
「ああああ……面倒だなぁ」
シートの奥深くに身を沈め、珍しく美月があからさまな弱音を吐いた。
「てっきり、君のことだから自宅学習で済ませているものだと思っていたよ」
僕が目を丸くして返すと、彼女は車窓を流れる景色を憂鬱そうに眺め、自嘲気味に笑った。
「学園は、イノセントにとって特別なんだよ」
「特別?」
「将来的に各区の長に就くことが約束された者、あるいはそれに準ずるエリートは、各区の学校ではなく中央区画で学ぶ義務がある。イノセントという巨大な歯車を回す、次世代の部品を育成するためだ」
「なるほどね、英才教育か」
「それだけじゃない。人脈作りの場……かつての中世ヨーロッパに存在した貴族院のようなものさ」
つまり、その学び舎では未来の支配者たちによる、子供じみた、しかし苛烈な頭脳戦が繰り広げられているわけだ。
僕の職域外なのは間違い無い。ジャケットの内側で鈍い重みを放つ鋼鉄の塊――拳銃の感触だけが、僕の存在証明だった。
数十分のドライブを経て、車両は学園へと滑り込んだ。
そこは教育施設というより、国境を隔てる要塞だった。かつての役所をリノベーションしたという巨大建造物は、威圧的な塀に囲まれ、過去の機能美と現代の防衛機構が歪に混ざり合っている。
『登録拳銃、一丁を確認』
無機質な車内アナウンスが流れ、五メートルはあろうかという金属探知ゲートを通過する。
周囲の通学車両からも、同じような選ばれし子供たちが冷ややかな視線を外に送っていた。
『駐車場に到着しました。お疲れ様でした』
屋根付きの駐車場は、コンクリートに囲まれた灰色の箱だった。眩い白色灯が、塵一つない地面を照らし出している。
美月は「ふぁ~あ」と盛大なあくびをしながら車を降り、背伸びを一つ。
「行くぞ」
スイッチが切り替わったような鋭い声。彼女は颯爽と歩き出した。
護衛として先導すべきだが、ここは未知の領域だ。僕は彼女の真横、いつでも盾になれる距離を維持する。理想はダイヤモンド陣形だが、あいにく僕は忍者ではないし、四人に分身する術も持ち合わせていない。
柱の林立する無機質な空間を歩いていると、不意に、影の一つが動いた。
反射的に美月の前に割って入る。しかし、彼女は呆れたようにため息を漏らした。
「学園にいる間、ずっとそうやって殺気立つつもりか? ここはイノセントでも有数の安全地帯だぞ」
……そうならそうと、先に言ってほしかった。
僕は苦い顔で、一歩後ろに下がる。
「おはよう、美月」
凛とした、鈴を転がすような声音がコンクリートに反響した。
柱の陰から現れたのは、おっとりとした空気を纏うハーフアップの髪型をした美少女。
以前の区画会議でも見かけた顔だ。
「おはよう、シンラ……髪切ったか?」
「相変わらず適当ね。むしろ伸びたわ」
少女――シンラは、クスクスと笑いながら僕の方へ視線を向け、丁寧に頭を下げた。
「明人様も、おはようございます」
シンラ。美月と同年代でありながら、第一区画の現役長を務める才女だ。
第一区画の住民は、他区画から「原住民」と揶揄を込めて呼ばれる。イノセントを構成する他の区画と違い、彼らは外国人ではなく、この地の主であった日本人で構成されているからだ。
つまり、第一区画は、日本人でありながら日本に反旗を翻したという、裏切り者の側面を持つわけだ。