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メイソン

 美月ミツキとシンラは友人関係なのだろうか。  教室へと向かう道すがら、二人は驚くほどフランクに言葉を交わしていた。僕はその後ろ姿を、感情を殺したストーカーのような歩調で追う。  学園の内部は、神経を逆撫でするほど入り組んでいた。  迷路のような廊下を迂回するたび、テキサス州兵並みの重武装を施した警備員と鉢合わせる。なるほど、テロリストの乱入を許したあのショッピングモールとはわけが違う。ここは、イノセントが誇る絶対に侵されてはならない聖域なのだ。 「おーい、明人アキヒト」  警備員の銃器から視線を外すと、教室の前で美月ミツキがシンラと並んで手を振っていた。 「教室の向かいに個室がある。カメラもあるし、何かあれば三ツ目サードアイから連絡がいく。授業が終わるまでそこで待機していろ」 「分かった」 「昼食まではまだ時間がある。まあ、適当に羽を伸ばしておけ」  美月ミツキが教室の奥へと消え、シンラも丁寧に一礼して後に続いた。  指示された個室へ視線を向ける。そこは図書館の自習室をさらに贅沢にしたような空間で、整然と並ぶドアの表札には、各生徒の名が刻まれていた。  美月ミツキの名が刻まれた扉を開けると、そこは一晩明かしても苦にならないほど高機能なプライベートスペースだった。  壁が剥き出しのコンクリートなら独房を連想させる狭さだが、幸いなことに内装は落ち着いたウッド調でまとめられている。  デスクには教室の様子を映し出すマルチモニターと、三ツ目サードアイが好みそうな人間工学デザインのチェア。さらには、小型冷蔵庫やコーヒーメーカーまで完備されていた。  とりあえず冷蔵庫から水を一本取り出し、ついでに見つけたお菓子を数個掴んで、ゲーミングチェアの奥深くに鎮座する。  モニターから伸びるヘッドホンを耳に当てると、担任と思しき白人教師の声が流れてきた。 『現在、イノセント内で発生しているテロ事案について――』  内容は堅苦しく、右から左へと抜けていく。  僕は包み紙を剥き、コーヒー味のチョコを口に放り込んだ。舌先に広がる微かな苦味と、それを覆い隠すような甘味。曖昧な味を、水で一気に流し込む。 「さて……どう動かすんだ、これ」  百歳の老人のような独り言を漏らしながら、マウスを弄ってみる。  画面が不意に拡大され、見知らぬ生徒の机上がアップになった。元に戻そうと試行錯誤するが、事態は悪化する一方だ。  僕が眉間に皺を寄せていると、 『――何をしようとしているの?』  耳元のデバイスから、三ツ目サードアイの無機質な声が響いた。 「起きてたんだ」  返ってきたのは吐息のような溜息だった。 『……やっと、目が冴えたところ』  それは好都合だ。僕はモニターの操作方法を尋ねようとしたが、すぐに困難に突き当たった。機器には企業ロゴも型番も一切記されていない。盲目の人間に色を説明するような難易度を感じていると、 『それはイノセント独自の旧世代型モニター。マウスを右ダブルクリックすれば、スケーリングをリセットできる』  全知全能のような指摘に、僕はしばし硬直した。 『どうしたの?』 「いや……どうして僕が困っているって分かったの?」 『耳のデバイス、時計の隠しカメラ、それに中央区画の全監視システム。私はあなたの状況を秒単位で把握している』  天井の隅を見上げると、あつらえ向きに設置された監視カメラがこちらを凝視していた。 「……なんだか、昔書いた恥ずかしい詩集を覗き見されている気分だよ」 『詩を書いてるの?』 「ただの比喩さ」 『そう』  そんな他愛ない雑談を交わしながら、指示通りにモニターをセッティングする。  画面には、二十名ほどの生徒が整然と並ぶ、豪華絢爛な教室が映し出された。 『教室にいるのは、平均して十三、四歳。この若さでこれほどの教育環境を与えられるのは、地球上でも数百人に満たない』 「だろうね」  三ツ目サードアイの言葉を聞きながら、僕の脳裏には全く別の景色が重なっていた。  極寒の雪山。狩猟の術を叩き込まれる少年の姿。  ――スノダ・ケイ。それに、保護者的立ち位置のジャックとアナ。  彼らはなぜ僕の記憶に巣食い、定期的に夢という形をとって現れるのか。  それにしても――。  不意に、思考の糸がプツリと切れた。  なんだ? 意識が、急速に纏まらなくなる。 『……どうしたの?』  三ツ目サードアイの危惧するような声が、遠くの方で響いている。  ゴンッ、という鈍い音が部屋に響いた。  それが、自分の頭がデスクに打ち付けられた音だと気づいたときには、僕の意識はすでに暗い深淵へと沈み込んでいた。 △  固定カ――  ヒュゴオオオオッ、と。  白い猛威が生命の痕跡を削り取り、あらゆる音を圧殺しようとする空間。葉を失い、死に装束のような雪を纏った木々が立ち並ぶ、地獄のような氷点下の雪山。  僕の姿をした『曲者の僕』が、雪を赤く染めて横たわる少年――ケイを見下ろしていた。容赦なく拳銃の銃口を向けたまま、怪物は歌うような調子で口を開く。 「何もないなら、僕の方からどうでもいい話をしていいかな?」  吹き荒れる雪礫が二人の体温を奪っていくが、怪物は微動だにしない。 「とある男が、自分探しの旅ってのに出てみようと思ったんだ」  怪物は、眼下の少年の苦悶など存在しないかのように言葉を繋ぐ。 「その旅路は険しかった。あらゆる危険と苦難が待ち受けていた。旅人一人の力では、到底成し得なかっただろう。彼がその旅を乗り切れたのは、優秀で勇敢な『仲間』がいたからだ」  不意に、怪物が楽しげに笑った。 「でも、旅人はその仲間を殺した。なぜだと思う?」  倒れ伏すケイの瞳から、光が失われていく。その死へのカウントダウンを視覚に収めながら、怪物は残酷な結論を突きつけた。 「助けてくれた仲間が、旅人を殺そうとしたのさ。理由は……まあ、それらしい、もっともな感じだ。旅人はたまらず武器を握った。罪悪感なんて皆無。これは生存競争だよ。捕食者が感じるのは味覚と満腹感だけ。それが生命に刻まれた最初のコードなんだから」  ようやく怪物は拳銃を下げた。サディスティックな愉悦を瞳に浮かべたまま、雪の上に腰を下ろし、最早震えることすら止めたケイへと問いかける。 「君はどう思う?」  返答はない。怪物はふっと笑い、興味を失ったようにその場を去ろうとして――。 「……死にたくない」  吹雪の咆哮に掻き消されそうな、ケイの掠れた呟き。  怪物はピタリと足を止め、再びケイを見下ろした。 「気が合うね。だけど、それならどうしてここまで来た?」 「人生は……幸せに満ちていて……」 「そうかもね」 「それでも……不幸はあって……」 「その通りだ」 「……変わらないのは……人は……前に進まなきゃいけないって……ことだけなんだ」  怪物は不可解そうに首を傾げ、薄ら笑いを浮かべた。 「答えになってないよ。なら、なんでそんなボロボロになってまで、ここを目指した?」  ケイの真っ青になった唇から漏れ出たのは、祈りのような言葉だった。 「幸せに……なりたかった」  怪物はその時だけ、神妙な面持ちを隠さなかった。 「幸せ、ね……ふーん」  自らに言い聞かせるように呟くと、再びケイの傍らに腰を下ろした。 「じゃあさ――」  しかし、次の瞬間、怪物の顔は不機嫌そうに歪んだ。ケイは既に息絶えていた。真っ青な唇は凍りつき、二度と動くことはない。怪物は心底残念そうに、白いため息を吐いた。 「……一応、もらっていくよ」  怪物は目を瞑り、ケイの冷たくなった頭部へと手を触れた。  猛吹雪が吹き荒れる数十秒。沈黙の儀式を経て、怪物の口角が釣り上がる。 「なるほど……そういうことか。やってくれるね」  怪物は立ち上がると、振り返った。  視線の先には、倒れ伏し、支え合うように身を寄せたまま雪に埋もれていく二人の男女。 「だけど、僕は揺るがない。……残念だったね」 △ 『アキ――』 「……ぅん?」 『アキ! 起きて!!』  鼓膜を震わせる三ツ目サードアイの悲鳴に近い怒号。  混濁していた意識が、冷水を浴びせられたように覚醒する。それと同時に、眉間に押し付けられた「冷たい硬質」の感触を脳が認識した。  反射だ。僕はそれを掴み取ろうと、かつてない速度で左腕を突き出した。  だが、眉間に銃口を置いていた主は、その反応さえ楽しむように読んでいた。 「よっと」  拍子抜けするほど軽い声。鮮やかな手つきで腕を引き、男はニヒルな笑みを浮かべた。 「バーン」  銃声の口真似。安全な距離を保ちながら、僕に銃口を向けているのは、第五区画の次世代リーダー――メイソンだった。  なぜここに。いつから。  僕の焦燥をあざ笑うように、彼はトリガーガードに指をかけ、大げさなガンプレイを披露した。そして、その銃をこちらへ差し出す。  それは、僕のジャケットの内側にあったはずの拳銃Czだった。 「不用心だな、護衛さんよ」 「……お恥ずかしい限りで」 「一つ、貸しだぜ」 「え?」 「おいおい。この俺にモーニングコールをさせたんだ。本来ならチップをもらってしかるべきだぜ」  メイソンはおどけたように肩をすくめ、背を向けて部屋を去ろうとする。僕はその背中に力なく声を絞り出した。 「あの……」 「ん?」 「どうして、君がここに?」  メイソンが足を止め、ゆっくりと振り返った。 「お前、名前なんだっけ?」 「え?」 「名前だよ、名前。犬猫にだってあるんだぜ?」  美月ミツキの傲慢さとはまた違う、底知れないマイペースだ。こちらの質問は無視し、自分の興味関心だけを最優先にしているらしい。  僕は彼のペースに飲み込まれつつあるのを自覚しながらも、答えるしかなかった。 「……明人アキヒト」 「アキヒロ? 言いにくいな。アキでいいか」  勝手に渾名を授け、彼は満足げに頷く。僕は気を取り直すように軽く咳き込み、本題を繰り返した。 「……それで、どうして君が僕の部屋に――」  そのタイミングで、美月ミツキとシンラが部屋へと踏み込んできた。 「メイソン。こんなところで何をしている」  美月ミツキの冷徹な声。メイソンは悪びれる様子もなく、僕に視線を残したまま答えた。 「よお、美月ミツキ。寝坊助のナイトを起こしてやったところさ」  彼はそのまま、風のように部屋から去っていった。美月ミツキはその背を不快そうに見送った後、呆れを含んだ瞳で僕を見下ろした。  参った。いつの間にか眠りこけていたのは事実だ。僕は失態を噛み締め、拳銃をホルダーに戻しながら立ち上がろうとして――。  そのまま、糸の切れた人形のように椅子から崩れ落ちた。 「あ、あれ……?」  力が入らない。全身の筋肉が他人のものになったかのように、痺れて動かないのだ。  もしかして急性の脳梗塞?   顔を青くする僕に、美月ミツキが重いため息を吐きかけた。 「無理に動くな。まったく、他所で出されたものをホイホイ口にするなと、躾をしておくべきだったな」  美月ミツキは部屋の隅々を検分するように見渡した。 「……アメニティが全て消えている。おそらく、奴が回収していったな」  シンラが長いスカートを抑えながら、僕の傍らに膝をついた。「失礼します」と囁き、柔らかな指先が僕の首筋に触れる。 「美月ミツキ、明人アキヒト様の脈に異常はないわ。劇薬の類ではないようです」 「そんな大それたものは使わんだろう。挨拶程度の代物だろうな」  状況が掴めず困惑する僕を見下ろし、シンラは慈しむような、しかし平然とした微笑みを浮かべた。 「明人アキヒト様。貴方は恐らくメイソンによって、眠らされていたのです」  そういって消えたアメニティを指すシンラ。僕はごくりと唾を飲み込んだ。 「……何のために?」 「ただの悪戯でしょうね」  彼女の微笑みは、この平和に見える学園が、実はとびきり悪質な遊び場プレイゾーンであることを物語っているようだった。 △  その後。  釈然としない僕を置いて、事態は無情にも進んでいく。美月ミツキは特に心配する様子も見せず、 「もう昼休憩だ。その調子じゃ飯は食えんだろう。保健室で見てもらえ」  と、非情な号令を下した。  僕は無理やり震える体を立たせ、先行していく二人の少女の背を見送るなり、生まれたての小鹿のような足取りで、目的地も定かではない保健室へと向かった。  迷路のような学園の廊下。辛うじて保健室へと続く表札を発見し、重心を奪われたような浮遊感に耐えながら、壁を伝って歩き続ける。ようやく全身の痺れが引き始め、思考の霧が晴れかけた頃、耳の奥で無線が震えた。 『……迂闊だった。ごめんなさい』  唐突な、そしてひどく沈んだ謝罪。  それが、先ほどの睡眠薬騒動に対する彼女なりの責任感だと気づくのに、数秒を要した。 「ああ、いいよ。気にしないで。流石に、アメニティに睡眠薬が仕込まれているなんて、君にだって予測できないよ」  僕は保健室の扉に手をかけながら、小声で応じた。そして、少しだけ気になっていたことを口にする。 「……ところでさ」 『なに?』 「さっき僕のこと、『アキ』って呼んだ?」  僕が深い眠りに落ちていたとき。彼女はいつもの「アナタ」ではなく、メイソンが勝手に付けた略称と同じアキという名を、切羽詰まった声で叫んだのだ。  僕の問いに、通信の向こう側で長い沈黙が流れた。  やがて、何かを誤魔化すような、どこか素っ気ない声が返ってくる。 『……明人アキヒトは、言いにくいから』 「いいよ、君にそう呼ばれるのは、何だか嫌いじゃないんだ」  三ツ目サードアイからの返答はなかった。  彼女は僕を再びアキと呼ぶのだろうか?   その答えがわかるのは、また次の危機が訪れた時になるのかもしれない