戒厳令
早朝。いつも通りアラーム前に目覚めた僕は、急ぎ支度を済ませ、廊下へと飛び出た。
今日は朝からフル稼働だ。学校に行く前、シアタールームの掃除を済ませようと思っていた。
だけど、階段を駆け上がって二階の廊下に到達すると、そこには着替えも済ませ、髪をセットアップした美月が仁王立ちしていた。
「おはよう」
美月は僕の横を通り過ぎ、そのまま階段へと向かいながら、
「朝から会合が開かれることになった」
「学校は……休みだよね?」
「ああ。会合には連れて行かないが、三ツ目を叩き起こしておけ。朝食をとったら出発するぞ」
美月が階段を降りていく音。
僕は脳裏をかすめる何やら不穏なモノを感じながら、三ツ目の部屋へと向かう。
ベッドで寝息をたてる彼女に触れると、予想に反して彼女は直ぐに目を覚ました。
「今日はやけに素直に起きるね」
「昨日、早く寝たから」
といっても二時過ぎくらいだったと思うけど……まあ、良い。彼女的には長く寝た部類に入るのだろう。
「ところで、朝から会合だって。キミは行かないそうだけど、多分いつものサポートをすることになると思う」
三ツ目は手首の時計を見ると、「そうみたいね」と返してきた。
ふと覗き見ると、手首には僕と美月の会話の要約が表示されていた。どうやら、彼女は寝ている間も僕と美月の会話を監視しているみたいだ。
「洗濯は帰ってからするよ。バケットにまとめておいて。あ、あと今日は用意できないけど、ちゃんと朝食をとるんだよ? 冷蔵庫にあるから」
「わかってる」
僕が部屋をあとにしようとすると、三ツ目が「……ねぇ」と、消え入りそうな声音で呼びかけてきた。
「どうしたの?」
三ツ目は暫く何と口にするか躊躇ったように口をすぼめた後、
「気を付けて」
△
会議室へと直通するエレベーターが開くと、既に各区画の長たちが席に着いていた。
僕は周囲を警戒しながら、なるべく直ぐ行動できるように美月の背後を陣取る。
美月が席につくと同時に、僕は会議室が以前と違う様相を見せていることに気が付いた。
それは美月も同様だったみたいで、変わらぬ不遜な笑みを見せる。
「メイソン……そこは、承認も受けていないのに勝手に座っていい席では無いぞ?」
以前、レッカーが座っていた第五区画長の為に用意された席。
そこにはなんと、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべたレッカーが、机に脚を乗せた状態で座っていた。
「区画長、代理だ」
「あ? ……代理だと?」
「ああ。レッカー代表の体調不良が続いていてな。仕方なく俺が駆り出されたわけだ」
それに対し、美月はわざとらしく鼻を鳴らした。
「それは良くないな。お大事に、と伝えてくれ」
「おお、心使い感謝するよ。特にレッカーは委員長どのと緊密な関係だったみたいだからな。心配していたと伝えたら喜ぶと思うぜ」
それを聞いた美月はつまらなそうな表情で椅子の背もたれに体を預けると、
「ところで……憂鬱な月曜日の朝っぱらから、区画長総出でいきなり私を呼び出した理由を聞かせてもらおうか?」
……区画長総出?
僕は内心、その発言には心臓をばくばくさせていた。
美月の発言から察するに、全区画長が意図をもって美月を呼び出したのだとしたら、それはただ事ではないハズだから。
暫く会議場が沈黙する中、席にて沈黙していた雅静が、遂に口火を切った。
「それはもちろん、前回上がったBLDの事案。その調査結果についてだ」
そんな雅静の背後には、前見た時と同じように、黒を基調とした、ライダースーツのような恰好をした、仮面の少女が立っていた。
仮面の少女は、まるで置物かのようにピクリとも動かない。しかし異様なほどに存在感を放っていた。
僕がそれに目を奪われている間に、美月が雅静の発言に反応を示していた。
「調査結果?」
「ああ。どこの区画がBLDを招き入れたか、それが判明した。ついては全区画会議を開いて、委員長、並びに他区画の長たちに話を通しておかねばならないと思ってな」
それを聞いた美月は頬杖をつきながら、
「ほう……言ってみろ。どこの区画だ?」
雅静はニッと笑うと、徐に右手を上げた。
すると、信じられないことが起こった。
第六区画。その区画長が座る座席。その座席の背後にて、控えていたボディガードと思しき割かし年配の男が拳銃を抜き放ち、第六区画長の頭にそれを突きつけたのだ。
思わず僕は懐に仕舞った拳銃に手が伸びる。だけど、抜かなかった。
美月は頬杖をついたまま、雅静はニヤニヤとしていて、シンラは目を瞑って涼し気に、メイソンにいたっては薄ら笑いを浮かべながら指をつかって耳に栓をしていた。
対する第六区画長は背後の死神に気付かず、多数の人間から視線を浴びている状況に困惑しているようであった。
「どうし――」
ガオンッ!
轟音が室内に響き、会議テーブルの上に鮮血が散った。
第六区画長はそのままゴンッ、と音を鳴らしながら机に突っ伏し、完全に絶命する。
隣に立っていた元ボディガードは、そんな第六区画長を乱暴に椅子からよけると、そのまま席に座った。
「委員長、突然の不躾、申し訳ありません」
落ち着いた声音でそんなことを言い放った元ボディガードの男。彼は続けて、
「新、第六区画長のエブラヒムです。以後、お見知りおきを」
新……第六区画長?
エブラヒムと名乗った男は、尚も落ち着いた様子で美月へと視線を向けていた。
それに対し、パチパチとわざとらしく拍手を鳴らした人物がいた。
「面白い茶番だ。雅静の息のかかった第六区画長サマの誕生ってわけかい?」
メイソンの挑発的な言い回しに、エブラヒムは眉を寄せた。
「滅多なことを言わないでください。イノセントは各区画ごとの独立維持を基本としている。雅静殿の介入など、そんなものは存在しません」
「おー、エイブラハム。雅静の合図で第六区画長の頭を月まで吹っ飛ばしといて、『関係ございません』てのか? 証人が何人いると思っている。イノセントに裁判所があったらパンクしちまうぜ」
「エブラヒムです、お間違えなきように。それに、あなたはさっきから何を言っている? 月がどうたら、意味が不明だ」
「おい、エイブ。ジョークも理解できないならその席は相応しくないぜ。策謀よりも、まずは英会話のレッスンから始めたらどうだ?」
「話にならない。それに、私はアナタと話しているのではない。中央委員長どのと話しているのだ」
メイソンは大仰に肩をすくめた後、美月へと視線をやった。
「はてさて、若き麗しき中央委員長どの。この惨状の始末はどうつけるつもりだ?」
美月が口を開こうとした時、雅静が遮るようにして会話に割って入ってきた。
「委員長、ご覧の通り、第六区画は既に機能不全に陥っている」
「……そのようだな」
「それに、第六区画の前区画長は中央委員長暗殺を企み、BLDを引き入れ、更にはイノセントへの関与、または介入が疑われているトレント社とも関係を持っていた」
最早会議場は雅静の独壇場だった。演説めいた口調、芝居じみた現状。このことから、既に美月は雅静の術中にはまっているものと思われた。
「それに、元ボディガードによる、この度を越した刃傷沙汰だ。つきましては、全区画による第六区画の解体、分割による領地の吸収を提案する」
「な――」
それを聞いたエブラヒムは血相を変えて席から立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!? 第六区画の解体だと?」
「ああ。ここまでの惨事と、身内同士での不始末を起こしといて、それはもう避けられないだろう」
……どうやら、ハメられたのは美月だけではないようだ。
第六区画長のボディガードの男もそれは同じだったようで、急にアタフタとし始めた。
「雅静どの、話と違うではないか! 先ほどのは第六区画長の制裁の意を込めて――」
雅静は表情を変えずに、
「話? 話とは、なんのことだ?」
「その後は私を長にプッシュアップすると言ったではないか!」
「ほう、興味深い戯言だ」
雅静は楽しそうに、美月へと視線を向けた。
「中央委員長どの。アナタはどちらの言葉が正しいと思われるか?」
長い沈黙。美月は肺に存在する全ての空気を吐きだしたのではないかと思うくらい、長いため息を放った。
「哀れだな……」
雅静はギッ、と。背もたれに体重を預けながら。
「哀れとは、誰のことです?」
「エブラヒム」
美月が短く答えた瞬間だった。雅静の背後に居た仮面の少女が、目にも見えないスピードで右手を動かし、何かを投擲した。
しかし、エブラヒムも流石元ボディガード、といったところか。首に勢いよく刺さった何かを引き抜こうとしながら、その手には瞬時に使用を試みたであろう、拳銃が握られていた。
やがて、エブラヒムは首から鮮血を迸らせながら、「グフッ、ガボボボッ」という、詰まった排水溝のような音を発しながら、そのまま机の下に消えていった。恐らく、自身が殺した第六区画長並ぶような形で絶命したのだろう。勝手にそんなイメージが沸いて、全身に鳥肌が立っていた。
「それで?」
美月は続けて、射貫くような視線で雅静を捉える。
「次にどうするつもりだ?」
美月の簡潔でいて、明瞭な問い。雅静は愉快で仕方ないというような笑みを浮かべながら、
「BLDを引き入れた諸悪の根源は去った。残ったテロリスト共も昨日、メイソンの手勢が始末をつけたそうです。これでイノセントを総括する中央区画に平穏は訪れた。しかし、いかんせんイノセントへと潜伏したトレント社の対応が気がかりだ。世界最大の軍需産業。どのような対応をとってくるか、見当もつかない」
「そうだな」
「ついては、イノセント発足以来、初めて実施されるであろう戒厳令の発令を提言する」
戒厳令、それが何を意味するのか分からなかった。
しかし、それに対し美月は初めて強い反応を示した。
「おい、当面の危機は去ったのだぞ? イノセント内外に緊張を与える戒厳令が本当に今、必要だと思っているのか?」
「もちろん。賛同の者は立ってくれ」
雅静が号令をかけると、なんと、その場にいた区画長たちが示し合わせたように全員、しかも同時に起立した。
先ほどは雅静に不満気だったメイソンや、美月を親友と言っていたシンラまでもだ。
それを見た美月は頬杖をやめ、自身の目の前にあったノートPCの蓋をパタリと閉じた。
「委員長、全区画の長が賛同している。これを拒否すれば、イノセントの存立自体が危うくなるだろう」
「そのようだな」
「今は危機的状態だ。直ぐに発令して頂かなければ――」
「申告する」
美月はふう、と息を吐いて数秒後。
「明日。午前零時をもってして、イノセント条項九十二条、三項に基づいて、全区画を対象にした戒厳令を発令する」
それを聞いた雅静は、太陽のような笑みを放った。
「賢明な判断です、委員長どの」