負け犬
「それでは委員長、各々戒厳令を敷く準備があるので、一先ず解散と致すか」
雅静の言葉を受け、ゾロゾロとその場を去っていく区画長たち。美月と親交の深かったシンラでさえ、座ったままの美月と目を合わせることなくエレベーターへと向かって行く。
メイソンはポケットに手を突っ込んでチンピラのように僕の横を通り過ぎさま、思い立ったようにピタリと立ち止まって。クイクイっと指を曲げて耳を寄せるように合図してきた。
「実はよお、困ったことに俺の親愛なる叔父さんが家出しちまってな」
「……は?」
レッカーがいなくなった、という事だろうか?
もし、本当にそうだとしたら、第五区画にとってかなり大ごとのハズだけど、メイソンは薄ら笑いを保持したままだ。
「お前んとこの近所で、ゴミでも漁ってるかもしれない。見かけたら動物愛護の精神で餌でもやって、保護してやってくれ」
メイソンはそれだけ口にすると、満足げにエレベーターへと向かった。そのタイミングで、美月は「ふう」と息を吐きながら立ち上がる。
「ところで……準備があるのではなかったのか、雅静」
美月は背を見せたまま、視線も合わさずにそんな言葉を放った。美月の言う通り、席には未だに落ち着いた様子の雅静と、その背後にはエブラヒムを葬り去った仮面の少女の姿もある。
「少し疲れておりまして。もう少ししたら会議室を出ますよ」
「ほう、そうか。働き過ぎも考え物だな」
美月はそんな皮肉めいた言葉を最後に、自身もエレベーターへと向かう。僕もその背を追おうとしたが、
「おい、そこの少年」
呼び止められ、心臓をドキリとさせながら振り返る。雅静は不遜な笑みを崩さないまま、こちらを見ていた。
「前から思っていたが、随分と可愛い顔をしているな。少し、話さないか?」
「おい雅静……私の護衛にちょっかいを出すな」
「心配するな、少しこの場で借りるだけだ。世間話にでも付き合ってもらおうと思ってな」
美月は暫く雅静と視線を交錯させたあと、くるりと背を見せた。
「明人、直ぐに戻って来るんだぞ」
「う、うん」
美月がエレベーターで階下に向かったあと、その場に僕と雅静、仮面の少女と哀れな死体だけが残った。閑散とした会議場。恐らく防音の為か、キーンと耳鳴りがするほどの静けさが訪れた。
「今の状況を理解出来ているか?」
口火を切ったのは雅静の方だった。
僕は少し緊張しながら、
「アナタが美月を嵌めた……って、ぐらいしか」
と、口にすると。雅静は「ふむ」と、腕を組んだ。
「戒厳令は主に、外への警戒を意味する」
「……外への?」
「ああ。本来は対日本国を想定して作られた法案だ。しかし、今回想定するのはトレント社だな」
「えと……トレント社を警戒して、国境付近に軍事力を集めるってこと?」
「そういうことだ。しかし、そうすると厄介なのが日本軍の存在だ」
「日本軍?」
「ああ。イノセント国境付近に兵が集まれば、日本国への侵攻を疑った日本軍が同じく国境付近に兵を集めるだろう。そうなれば睨みあいは激化し、何らかの火種でも放り込まれようものなら即時戦争だ」
僕は口内に潜む唾をなんとかかき集め、ゴクリと飲み込んだ。
「イノセントは……戦争を起こすつもりなの?」
僕が聞くと、雅静は天井を仰いだ。
「イノセントの人口増加は深刻だ。あと数十年は大丈夫だろうが、放っておくと何千人、何万人規模で口減らしなければ、イノセントは破綻する」
僕はその言葉に、驚愕を覚えていた。つまり、雅静は戦争を起こしてイノセントの人間を物理的に減らそうとしているのだ。
ひどすぎる。人間がしていい所業ではない。
しかし、そのことを遊園地でのメイソン同様、何故所詮は美月の護衛である僕に話すのかが、イマイチ理解できなかった。
雅静は警戒する僕を楽し気に観察しながら、
「もしくは、領土の拡張だ」
「は?」
「イノセントの領土が増えれば、人口増加など些末な出来事だ。願わくば中国地方全域、もしくは四国全域、或いはその全て。内訳で揉めるだろうが、人口増加に比べれば些末な問題だ。ヨーロピアンによるかつての植民地政策の再現を行う」
「……結局、そんなことをすれば日本と戦争になるよ」
「だろうな」
「他にも……方法があるような気がする」
雅静は「あるだろうな」と、何となしと言った風に回答してみせた。僕が呆気にとられていると。
「美月は大規模な地下都市計画、もしくは人工的な土地を重ねる多層構造住居と海上都市計画を発案している。もしそれらが実現すれば、人口増加にも何とか対応しきれるかもしれん」
「じゃあ、なんで――」
「夢はあるが、現実的ではない」
「え?」
「結局、技術力がある区とそうでない区に分かれている。だからといって、技術のある区に立ち入らせれば、それは区にとっての弱みとなる。美月はそれを防ぐため、中央区画主導の都市開発、もしくはAIと区画監察官なる者の育成を急いでいるが、それについては各区とも消極的だ。中央区画の力が増大してしまう、としてな」
僕が何も言えないでいると、雅静は唐突に手を振ってもっと近づくようにジェスチャーしてきた。
「なあ、少年」
「……明人です」
僕が呟くように言うと、雅静はふっと笑って、「明人」と復唱した。
一歩近寄ると、もっと来いのジェスチャー。結局、僕は雅静と三メートルくらいまでの距離まで近づいて、完全に停止した。
僕がもう近寄らないのを察すると、雅静は「臆病者め」と笑いながら、背もたれに寄りかかった。
すっかり冷めきった紅茶の味を楽しむように目を瞑った彼女は、
「もう一つ、面白いことを教えてやろうか?」
正直、その内容は僕にとって『面白いもの』ではないことは直感的に理解していた。
しかし、僕は聞かずにはいられなかった。
「……なんです?」
「BLDを引き入れて、美月殺害を目論んだのは私だ」
僕はそれを聞いた瞬間、咄嗟に懐の拳銃を抜き放っていた。細胞レベルで刷り込まれた危機感地センサーが極大に反応を示していた。
恐らく、これを聞いた僕は殺される。そんな予感からの反射だった。狙うは雅静の額の中央、前髪とおでこの境界線。
しかし、それは途上で阻止された。
音もなく、右手を走る激痛に顔をしかめながら僕は膝をつき、低い姿勢で発砲を試みる。しかし、それは仮面を被った少女が放った何らかの物体によって、再び阻止された。
拳銃が弾かれ、後方に飛んでいく。右肩に何か鋭い衝撃がして、全身を走る電撃のような痛みと共に床に倒れこんだ。
ふと、転がりながら右肩を見てみると、小ぶりのナイフが角のように生えていた。
引き抜いても、止血する時間は無い。僕は転がった拳銃を拾うために、ダイブするように飛び込んだが、それも恐らくナイフによって弾かれた。
「貴様は犬か? あまりはしゃぐな」
冷めたような、雅静の声音。僕はようやく諦めて彼女の方を見た。
すると、仮面の少女が雅静の前に立ち、手に握れるだけの、沢山のナイフを控えさせていた。
雅静は立ち上がると、少女の肩に手を置きながら、
「紹介しよう。彼女はれっきとしたトレント社の社員。その名も、『カタリナ・トレント』だ」
僕は衝撃を覚えていた。雅静は確かに、仮面の少女のことをトレント社の社員と口にしたからだ。
それは、雅静がBLDを迎え入れただけでなく、イノセントにおけるトレント社の暗躍まで関わっていたことを意味する。
「お前の元同僚だぞ、再会した気分はどうだ?」
雅静の問いかけに、カタリナと呼ばれた仮面の少女は反応しなかった。雅静はつまらなそうに息を吐いた後、僕を見据えながら、
「戒厳令は戦争状態に突入するだけでなく、とある二つの要素を持っている」
「なん……だって?」
「中央区画に所属する軍が、国境付近に移動するのだ。お姫様を守る騎士たちが城を留守にするわけだな」
僕が雅静のあまりの言葉に絶句する中、彼女は続けた。
「そんな中、カタリナを初めとする複数人のトレント社員が中央区画に潜入したらどうなるだろうか? トレント社の傭兵は世界最強の殺人マシーンたちとして名高い。ああ、何という悲劇だろう。姫君はナイトの帰りを待つことなく、一人孤独のまま、空虚に広がる城にて、その誇りを胸に抱いたまま、帰らぬ人となったのであった」
芝居じみた雅静の言葉。脳が理解を拒否するように、真っ白になり、心臓がバクバクと鼓動する。
雅静がカタリナを伴って近づいてきたが、動けない。
「私は他の区画から、第三区画にいる殺人蜂の女王と呼ばれている。つまりは、女王蜂というわけだな」
濁流するように心に押し寄せる恐怖感の中、僕は彼女の渾名をピッタリだと思った。
彼女は殺人蜂で、しかもその女王。僕の首なんか、キッチンの塩を一つまみするくらい簡単にへし折ることが出来るのだ。
「だが、私からすればイノセントは巨大な蜂の巣だ。決して名の通り無垢なる者たちが集う楽園などではない。神々のように遥か上空からこのイノセントを見下ろしてみろ。各区ごとに区切られた巨大な壁、それらを内包する巨大な国境線。これを蜂の巣と表現せずして何と言う?」
雅静は膝をついて、ガタガタと震える僕の髪を掴んだ。
「第三区画が殺人蜂集団なのではない。イノセントの存在そのものが、巨大な殺人蜂の巣なのだ」
雅静は僕の頭の髪を、左右へ乱暴に振りながら、
「そして、殺人蜂は蜜を求めない。求めるのは他の巣で産声を上げる肉たち。それを奪いに行くのは、殺人蜂の宿命だ」
雅静はピタリと動きを止めると、次に切なげな声音で。
「私は、善人が好きだ」
「……ぇ?」
その言葉には、思わず間抜けな声が漏れた。仕方ないだろう。だって、明らかに今のこの場面、状況で口にするような言葉ではない。
だが、彼女は言葉を継いだ。まるでそれが、己が宿命だとでも言いたげに。
「善人は純粋で、見ていて気持ちが良いし、心地よい気分にしてくれる。うん、善人は好きだ。なるべく、側に置いておきたい」
雅静は自分に言い聞かせるように、何度も頷いていた。僕の目には、それは奇妙にも、不気味にも映っていた。
「なにを……言っているんだ?」
「だが善人は、この世で最も多くの人間の命を奪って来た」
僕は震えていた。目の前の女の言葉が理解できず、ただただ、髪を掴まれたまま震える事しかできなかった。
「苦境に立たされた人間たちを見捨てず、キリストのようにパンを与え、世界を幸福で満たそうとした」
僕はそこで、唾が気管に入って思わず咳き込んだ。彼女の顔に僕の唾がかかったけど、彼女は動じなかった。
「だが、全ての人間にパンは生き渡らなかった。不満を持った者達が他の者達を根絶やしに出かけた」
「わからな、わらかないよ。わからない!」
「美月は善人だ」
雅静は僕の髪から手を離すと、すくっと立ち上がって、震える僕を見下ろしていた。
「そして、賢過ぎる。美月が委員長になってからイノセントのGDPは五・ニポイント跳ね上がった。バカげた数字だ、あり得ん。奴は神が遣わした天使か何かか?」
「み、美月は……」
「だから殺す。生かしてはおけん。イノセントは、全ての人間が飢え苦しんでもステーキを貪るような、悪人によって統括されるべきだ」
それを聞いた僕の震えは、わずかに治まっていた。その時の僕の胸には、石ころ程度の怒りのような感情が沸いていた。しかしそれらは、所詮石ころ程度のサイズだ。押し寄せる恐怖の奔流の前には、屈するしかなかった。
雅静は心底見下したような目で僕を見下ろしながら、腕時計を確認した。
「イノセント戒厳まであと数十時間。尻尾を巻いて逃げるのも、戦うのも好きにしろ。ただ、戦うのならばお前は死ぬ。確実に死ぬ。絶対に死ぬ」
雅静はそこで背を見せ、自分の座席へと戻っていった。
「ああ、傷心中だ。一度でいい、あの善人の娘をこの手で抱きしめたかった」
僕はそんな雅静の他人ごとのような言葉を聞きながら、血まみれの腕を駆使して拳銃を広い、逃げるようにエレベーターへと駆けこんだ。
エレベーターが閉まる瞬間。カタリナと呼ばれていた少女は仮面を少しだけ外し、その顔を少しだけ覗かせる。
それを見た僕は思わず叫びそうになった。
カタリナの仮面の下は、行きのバスで隣に座っていた活発そうな東南アジア系の少女と同じだったのだ。
『逃げ場はどこにもない』
そう告げられた気分になって、銃を構えようとして、ズキリとした痛みに取り落とす。
「ヒッ」
右手を見て、思わず悲鳴のような声が漏れた。
恐らく、あのカタリナとか言う護衛が放ったナイフの影響だろう。小指の第一関節がぷらんと皮だけを頼りにぶら下がっていた。
途端に稲妻のような痛みが襲ってきて、僕は膝をついた。
どす黒い色の、耐えまない出血。骨は飛び出て、存在を主張しているように思えた。
僕はうめき声を上げながら、皮だけでぶら下がっていた指を掴み、根本と重ね合わせた。火が出そうなほど痛いし、涙がこぼれた。左手を離すと再び指が外れそうだが、先決なのは止血の方だ。
僕は右手全体を太ももと腹で挟むようにして圧迫し、左手でポケットに忍ばせていたナイフを取り出して、右のシャツの一部に切れ込みを入れる。
その後は左手で思い切り引っ張り、叫び声を上げながら些末な布を得た。
僕はその布を使って小指を包み込み、包帯替わりにした。じんわりとした熱さが右手全体を伝い、痺れのような感覚さえもした。
チーンッ。エレベーターの扉が開く。僕がふらふらとしたながら出ると、両サイドを陣取っていた警備員がギョッとした表情を浮かべていた。
「おい、大丈夫か?」
大丈夫ではない。だから、僕は答えない。痛みが頭に伝染したようにズキズキとしていた。
「おそらがみえるよ」
廊下の真ん中に幽霊少女が立っていたけど、関係なかった。僕は横を通り過ぎ、ゾンビのような動作でビルの外へと出た。
太陽は煌々と照っているのに、ひんやりとした空気感。道路上には、異様な存在感の放つリムジンが待機していた。
そこへ向かう途上、都市全体に響き渡るような、爆音のサイレンが鳴った。
『明日、午前零時より、イノセント戒厳令が発令されます。市民は規則通り定められたシェルターへ、対応にあたるイノセント職員は規範通り各省庁に集結してください。繰り返します――』
リムジンのドアが開く。僕が出荷前の小麦袋のように倒れこみながら乗り込むと、ドアが閉じ、車両は発進した。
「ふっ、喧嘩に負けた犬のように帰ってきたな」
息を切らしながら半身を起こし、声のした方向を見やれば、美月が足を組んで座席から見下ろしていた。
「み、美月……」
「なんだ?」
「雅静が……」
「分かっている、お前のデバイスを通じて、話は全て聞いていた」
美月は不機嫌そうにリムジンの棚を漁り、医療マークのついたバッグを取り出して、放ってきた。
「おい、ぶるぶると犬のように震える役立たず。お前は床に這いつくばって何をしている? 早く治療をしろ。これから戦争だぞ」
僕は美月の言葉を、信じられない思いで聞いていた。
短い間だけど、僕は彼女と接し、確かな情を抱いていた。彼女の孤独なところも、不器用なやさしさにも好感を抱いていた。
それなのに――そんな美月から、こんなに残忍で、冷たい言葉を投げかけられるとは思わなかった。
僕は震える手でバッグを漁り、包帯を取り出す。血で張り付いた簡易の当て布を剥がし、小指がくっつくことを祈りながら丁寧に包帯を巻いた。
荒い息が漏れる。そして、涙がこぼれる。美月はずっと、そんな僕を不快そうに眺めていた。
『アキ……聞こえる?』
治療をしている最中、三ツ目の無線が耳に響いてきた。
『この無線は、サナダ・ミツキには聞こえていない』
僕は美月に気取られないよう、治療の手をとめなかった。それが美月に対しての、些末な反抗心の表れだった。
『戒厳令が始まれば、サナダ・ミツキはもう終わり。生存は絶望的。トレント社の工作員に唯一対抗できそうな精鋭は中央区画を離れ、警察機構もシェルターの治安維持に追われ、マトモに機能しなくなる』
僕はせき込んだ。今度は右肩の治療だ。シャツを破る勢いで脱ぐと、右肩の出血は既に大分収まっていた。
『サナダ・ミツキはUI値から察するに、既にマトモな思考形態をなしていない。私はこんなこともあろうかと、前もって……脱出路を用意している。隙を見て、ここから二人で逃げ出しましょう』
その言葉の意味するところ。それは、美月を一人置いて、三ツ目と共にイノセントから去るという意味だった。