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覚醒

 僕は美月ミツキ邸に再び足を踏み入れていた。終焉を告げるように、心なしかひんやりとした屋敷内。僕は走った。かつてないほど全力で、抑えきれない衝動を発散するように。  階段を駆け上がり、廊下を駆け抜け、やがて息を切らしながら辿り着いたのは、美月ミツキの部屋。レッカーと相対した時よりもバクバクとした心臓。僕はかつてないほど、緊張していた。  ノックももどかしく、ドアノブを捻る。室内は真っ暗で、光源は窓から差し込む些末な月明かりだけだ。  向かうは、中央の天蓋付きベッド。側まで近寄って確認すると、布団は少しだけ盛り上がっていた。シーツは小刻みに震えていて、その中にいる人物が恐怖に打ち震えていることが伺えた。 「美月ミツキ」  名を呼んでみると、布団がびくりと反応した。  僕はゆっくりと布団をめくる。そこには、胎児のように身を丸め、固く瞼を閉じて震え続ける美月ミツキの姿があった。  その手には、お守りのように握りしめられた僕のかつての愛銃Cz75が収まっていた。 「美月ミツキ、僕だよ」  二度目の問いかけ、そこでようやく震えを止めた美月ミツキは、目を見開いて僕を視界に入れていた。 「アキ……ヒト」 「そうだよ」  美月ミツキは信じられないといった様子で、僕を見つめていた。  「なんで……戻って来た?」 「取引を思い出したんだ」  僕がそう口にすると、美月ミツキは呆けた表情を崩さないまま、 「お前は今……誰だ? ウィリアム・トレントなのか?」  その問いは、正に僕が今現在、自身に問いかけ続けている主題だった。 「正直、よく分からないんだ」  美月ミツキは黙っていた。なので、僕は続ける。 「僕は曖昧で、ウィリアム・トレントなのか、原田明人アキヒトなのか……それとも日本人の少年、ケイなのか」 「……ケイ?」  困惑する美月ミツキの乱れた髪を直そうとすると、彼女は震える手でそれを掴んだ。  互いに求めるようにぎゅっと結ばれた手。僕の冷え切った手は、彼女の温もりによって少しだけ浄化された。 「美月ミツキ、戒厳令の中止を宣告しよう。この馬鹿げた戦争を止めるんだ」  美月ミツキはほんの一瞬、本当に少しだけ表情を和らげると、直ぐに悲しい瞳を浮かべた。 「……ダメだ」  彼女がそう口にするのは分かっていた。断られるのも知っていた。  だけど僕は口にしていた。会話を繋ぎとめるための、問いの言葉を。 「どうして?」  「全区画の賛成で採決された戒厳令を私が独断で中止すれば、中央区画の横暴と立場は危ぶまれる。結局は……私が死ぬしか選択肢は残されていないんだ」 「戦争が起きると……それよりも沢山人が死ぬよ」 「それは少し違う。雅静ヤージンは私の排除を先決としている。私が死ねば……一時的に戦争は止まるのは確かだ」 「例え、そうだとしても……それは一時的でしかない。君が中央区画長でなくなれば、今後雅静ヤージンが何を起こすか分からない」  それを聞いた美月ミツキは、『そんなことは、分かっている』という風に脱力した。 「もう……疲れたんだ」  僕はそれを聞いて、思わず息を呑んだ。美月ミツキはそんな僕を見透かしたように、片手に納められていた拳銃Czを持ち上げた。 「黙って……休ませてくれ」  僕は美月ミツキの拳銃を奪い取った。即座に腰に収めて、 「僕は君に死んでほしくない」  それに対し、美月ミツキは悲し気に微笑んだ。 「何を言っている? お前と私は……まだ出会って間もないじゃないか」  言葉とは対照的に、美月ミツキは僕の手を強く握っていた。僕は堪えきれず、彼女のか細い体を抱き寄せる。 「ちょ、ちょっと――」 「キミは……僕を護衛に引き入れる時、僕の指標となるとなると言ったよね」 「う、うん……」  彼女の背負ったモノは、この小さな体には大きすぎる。だから、僕は彼女の肩に手を置いて、瞳を真っすぐ見てこう口にするのだ。  「今度は僕が君の指標となるよ」  美月ミツキは大きく目を見開いた。 「指標って……お前は、私に何をさせるつもりだ?」 「大勢の人を救おう」 「……救う?」 「そう。君が犯す罪を支払っても……お釣りがくるくらいに」   美月ミツキの瞳が歪んだ。 「私はそんなことをしてまで、生きていたくない……」  漏れ出た、本心のような言葉。 「君が背負いきれないなら、僕が一緒に背負う」 「そんな……」 「三ツ目サードアイだって動いている」 「明人アキヒト……」 「レッカーだって君の為に動いていた。君は決して一人じゃ――」 「勝手なことばかり言うな!」  美月ミツキの心からの叫びに思えた。僕は今度は動じることなく、彼女の瞳を見つめる。 「私はお前たちに生きていてほしかった。だから私は、こうして――」  美月ミツキはそこまで口にしたところで、堪えきれずに泣き出してしまった。子どものようにみっともなく、大きな声で。  やがて、イノセント中に轟くかのような、巨大なサイレンの音が鳴り響いた。 『現在時を持って、イノセント戒厳令が施行されます。住民の皆様は――』  アナウンスと同時に、遠方で雷鳴のような轟く爆発音が聞こえた。  僕は耳の無線機に指を押し当てる。 「三ツ目サードアイ、遂にイノセントと日本の戦争が始まったのかな?」 『違う、これはトレント社によるもの。二十四時ジャストになった途端、美月ミツキ邸に数百機を超えるドローン編隊が押し寄せてきている』  僕は無線を聞きながら窓辺へと寄った。見えるのは、漆黒の夜空で散発的に発生する閃光と轟音だ。 『ドローンは私が何とか対処する。だが、偵察ドローンによると武装した数十人の部隊がイノセント特殊部隊の装甲車に分乗し、美月ミツキ邸に侵入を果たそうとしている』 「了解だ。直ぐに対処に向かうよ」 『それと……現在はまだ膠着こうちゃく状態の国境線で、持ち場を離れ、中央区画に向かっている所属不明の部隊がいると情報が入った』  所属不明の部隊、不気味なワードだ。決して味方みたいな都合の良い存在では無いだろう。 「もしかして、雅静ヤージンの手勢かな?」 『分からない。だけど、サナダ・ミツキに戒厳令を停止させるなら急いだほうがいい』 「それなんだけど……」  戒厳令を停止させると言っても、どうすればいいのだろう?  美月ミツキは現在、屋敷で大泣きしている状況だ。この美月ミツキをトンント者から護衛しながら、どこかの省庁に運び込むのは骨が折れるに違いない。 『それなら問題ない』  パッと、薄暗い部屋で、美月ミツキの高級PCと接続されたモニターが勝手に起動した。モニターは薄暗い部屋の唯一の光源となって、部屋を照らしだす。 『サナダ・ミツキに伝えて。そのPCは現在、中央区画制御室とコネクトしている』 「つまり?」 『サナダ・ミツキがマイクを通して「戒厳令中止」を呼びかけると、それは全区画に伝わる』 「……戒厳令中止を宣告したら、直ぐにトレント社は止まるかな?」 『雅静ヤージンにとって、今回の戒厳令騒動はサナダ・ミツキ殺害における、またとないチャンス。この機を逃す手はない。よって、希望的観測は捨てたほうがいい』 「つまり?」 『戒厳令中止を宣言して、システム上で「サナダ・ミツキ本人」と認証され、承認されるまで数十分を有する。その間、トンレント社は手を緩めないと想定される』  それを聞いた僕は、美月ミツキへと振り返った。 「美月ミツキ、聞いて」  爆音が響く。彼女は怖いのだろう、ベッドに突っ伏しながら震えていた。 「正直、僕は死にたくない」  美月ミツキが何かを言ったけど、ベッドに突っ伏した彼女の声はくぐもっていて聞き取れなかった。 「僕はきっと、幸せになりたいんだ」   その言葉に「だったらッ――」と、顔を上げた美月ミツキ。彼女の顔はくしゃくしゃで、年相応に見えた。思わず僕から穏やかな微笑が漏れ出る。  「君なら出来るよ」 「……何をだ?」 「多分、君にしか出来ない」 「だから、何をだッ!」 「僕ら全員を幸せにしてくれよ」  僕の言葉に、美月ミツキは暫く固まっていた。 「お前たちを……幸せに?」 「僕や三ツ目サードアイ、君を想う全員の幸せ……それ君の指標だ。でもきっと、君が幸せじゃなければ、僕らは幸せにはなれない」 「私たち以外の人間が不幸になろうとも、お前は構わないのか?」 「それは嫌だ」  美月ミツキは目を丸くする。僕は続けて、 「だから……何とかしてくれよ」  美月ミツキはそれを聞いて、遂には俯いてしまった。 「無茶苦茶だ」  怒りに打ち震えるようにふるふると体を揺らす彼女。 「論理的に破綻している……」  だが、涙を拭った美月ミツキは、くしゃくしゃの顔にいつもの不遜な笑みを覗かせていた。 「この状況を切り抜けたら、前よりこき使ってやるからな」  立ち上がった美月ミツキは、ふうと息を吐くと。いつものキリっとした表情を浮かべた。 「明人アキヒト、通信機を片耳貸せ」  言われた通りイヤホンを片方差し出すと、美月ミツキは即座にそれを耳に入れた。 「三ツ目サードアイ、PCの画面が切り替わっているが、中央制御室に繋がっているのか?」  流石美月ミツキだ。気持ちを切り替えるや否や、即座に状況を理解したらしい。三ツ目サードアイはいきなり美月ミツキと通信がつながったからか、少しだけ息を呑んでいた。 『サナダ・ミツキ……私は――』 「後で聞く。今から私は中央区画長の権限を行使し、戒厳令中止を宣告する。だが――」  美月ミツキは窓から見える中庭を視界に入れながら、眉を潜めた。 「トレント社員が素直に『はいそうですか』となるとは思えん。三ツ目サードアイは戒厳令発令後、中央区画の機能の復旧をサポート、及び国境付近の精鋭を帰還させろ。明人アキヒトは――」  美月ミツキによってドンッと胸に押し当てられた拳。 「戒厳令が承認されるまで、私を守れ。イノセントを救わんとする偉大な中央区画長の体だ。傷一つつけさせるな」   僕はそれを受けて、心底誇らしいような気分になっていた。 「喜んで」  僕はその時初めて、美月ミツキの命令を心から受け入れていた。